<在日中國(guó)人のブログ>池袋で中華街を作る考えは間違っていた、私が感じた「池袋學(xué)」

黃 文葦    2017年4月29日(土) 5時(shí)50分

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知らぬ間に、池袋は私の「地元」になっていた…。池袋は、新宿?渋谷と並ぶ東京の城北の副都心で、在日中國(guó)人にとっては親しい場(chǎng)所である。筆者撮影。

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知らぬ間に、池袋は私の「地元」になっていた…。池袋は、新宿?渋谷と並ぶ東京の城北の副都心で、在日中國(guó)人にとっては親しい場(chǎng)所である。池袋駅の北口を出ると、必ず中國(guó)語(yǔ)が聞こえてくる。そして北口界隈(かいわい)を歩くと、中華料理の匂いも漂ってくる。在日中國(guó)人の多くが池袋で仕事をしたり、友だちと會(huì)ったりしている。大勢(shì)の在日中國(guó)人にとって池袋は生活の基盤であると言っても過(guò)言ではない。

その他の寫真

しかし現(xiàn)在、池袋は中國(guó)人だけではなく、さまざまな國(guó)の人が街に溢れている。演劇?オタク文化?セゾン文化などなど、外國(guó)人観光客にとっても池袋は日本文化を満?jiǎn)摔扦雸?chǎng)所だ。東京23區(qū)の外國(guó)人比率ランキングでは、豊島區(qū)は新宿區(qū)、港區(qū)に続き3番目になっている。池袋の國(guó)際化が著しく進(jìn)んでいるようだ。

私は2004年に神奈川県から「上京」した。數(shù)年間池袋周辺でマスコミの仕事に従事し、2014年に豊島區(qū)に引っ越した。自宅から池袋駅まで徒歩20分くらいの距離で、私は自然と毎週池袋に行くようなった。さらに池袋の豊かな特性と成長(zhǎng)ぶりを肌で感じつつある。多文化共生の池袋は益々光っているように見えた。

現(xiàn)在、私にとって池袋は「地元」であり、池袋の歴史をも含むさまざまなことに興味を抱いている。昨年11月に私は豊島區(qū)中央図書館にて開催された「池袋モンパルナス 蕓術(shù)家たちの生きた街」という題名の地域研究セミナーに參加した。昭和初めから戦前にかけて、池袋西口から椎名町周辺にはたくさんのアトリエ付きの貸家やアパートが建てられ、そこに若い蕓術(shù)家たちが集まった。その中から日本を代表する多くの蕓術(shù)家が生まれた。

セミナーでは、地元の人たちが懐かしく池袋についてさまざまな思い出を語(yǔ)り合っていた。皆が力を合わせて「池袋の歴史を編む」ようであった。その中には當(dāng)時(shí)の蕓術(shù)家の家族もいる。池袋モンパルナスの蕓術(shù)家の魂は、今もこの土地に獨(dú)特な雰囲気を與えているかのようである。

ちなみに、2014年から立教大學(xué)で「池袋學(xué)」というタイトルの公開シリーズ講座が開催されている。地元の人びとが學(xué)者たちと一緒に地域の歴史を守り、そして語(yǔ)り継ごうとしている。

そもそも、外國(guó)人住民は「池袋は中華料理を勘能するところだけではなく、文化の交差點(diǎn)のような存在」ということを認(rèn)識(shí)するべきであろう。

數(shù)年前、池袋を基盤としビジネスを営む在日中國(guó)人の一部に池袋で「中華街」を作ろうとする動(dòng)きがあったが、その後、計(jì)畫は頓挫した。言うまでもなく、日本で中國(guó)人あるいは中華文化のために「中華街」を作ろうという考え方は間違っていたのだ。池袋は東京の中、日本の中にある。まず地元の人たちが「中華街」について、どういうふうに考えているのか、配慮しなければならない。地元の人たちに協(xié)力を求めなければ、「中華街」の計(jì)畫自體に意味はないだろう。

今思えば、電車で1時(shí)間ぐらいのところに長(zhǎng)い歴史や伝統(tǒng)を持つ橫浜中華街があるため、池袋でもう1つの中華街を作る必要がないと考えられる。池袋駅北口の界隈には「中華街」を彷彿(ほうふつ)させるような雰囲気がすでにある。池袋は「純粋な中華街」にならなくてもよい?!该猡胜瓡崦沥圣隶悭ぅ圣骏Ε蟆工韦蓼蓼扦瑜?。それは池袋の醍醐味(だいごみ)の1つでもある。また、現(xiàn)在の池袋は、中華料理のほか、アジア各國(guó)の料理屋が増えてきており、2020年の東京五輪を契機(jī)に、池袋がアジア料理の天國(guó)になればよいと思う。

多くの在日中國(guó)人にとって、池袋は懐かしい思い出がたくさん殘る場(chǎng)所に違いない。ただ、ひたすらに池袋を自分のものにするのではなく、「池袋のために自分ができることは何か」を考えるべきだ。それを考えるためにもっと池袋の歴史を勉強(qiáng)するといい。

異國(guó)で暮らす人はよく辺境人だと言われる。私なりの「辺境人の流儀」とは、「辺境」に身を置くとはいえ、出身や文化背景にこだわるのではなく、なるべく地元に溶け込み、柔軟に多文化の中で生きようとする。そして、自身の視野を広げていく。

「池袋學(xué)」が奧深いと感じるこの頃。池袋という土地は、異なる価値観に包容力を持つ。私はこれからも「池袋學(xué)」を勉強(qiáng)し続けたい、そして池袋という多彩な土地の魅力を語(yǔ)り続けたいと決意した。

■筆者プロフィール:黃 文葦

在日中國(guó)人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ?、両國(guó)のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場(chǎng)を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任?,F(xiàn)在、教育?社會(huì)?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來(lái)日以降、中國(guó)語(yǔ)と日本語(yǔ)の言語(yǔ)で執(zhí)筆すること及び両國(guó)の「真実」を相手國(guó)に伝えることを模索している。

■筆者プロフィール:黃 文葦

在日中國(guó)人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ?、両國(guó)のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場(chǎng)を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任?,F(xiàn)在、教育?社會(huì)?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來(lái)日以降、中國(guó)語(yǔ)と日本語(yǔ)の言語(yǔ)で執(zhí)筆すること及び両國(guó)の「真実」を相手國(guó)に伝えることを模索している。

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