日本の地下鉄で電話してはいけない理由は?―華字紙

人民網(wǎng)日本語版    2017年4月30日(日) 14時20分

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ネット上で、「日本人は本當(dāng)にマナーがいい」と結(jié)論づけている記事を見かけた。

ネット上で、「中國では、マナーを非常に重んじるというのが日本人に対する一般的なイメージ。ある中國人が、それは事実なのかを調(diào)べるために実際に日本に行ってみたところ、電車や地下鉄の車內(nèi)は非常に靜かで、攜帯で通話している人は一人もいなった」とし、「日本人は本當(dāng)にマナーがいい」と結(jié)論づけている記事を見かけた。(文:魯強。在日華字紙?中文導(dǎo)報掲載)

上記とよく似た記事はいくつも見たことがある。私の経験からすると、日本の電車や地下鉄の車內(nèi)はほとんどの場合とても靜かだ。しかし、冒頭のような記事に対しては、「地下鉄の車內(nèi)で通話しないということはマナーが良いことで、通話したらマナー違反になるということには、どんな根拠があるのだろう?」と少し疑問に感じる。

私自身、日本で地下鉄に乗っている時に、よく電話がかかってくる。ただ、現(xiàn)地のルールを守って、まず著信を拒否し、次の駅で降りて電話を掛け直すようにしている。そして、通話が終わるとまた地下鉄に乗る。そうすると、快速電車やバスを乗り過ごしてしまうことも多く、次の地下鉄やバスが來るまで30分以上待つこともざらだ。電車や地下鉄、バスの中で電話をかけている日本人を見かけることもあるが、私は斷固として現(xiàn)地のルールを守っている。

攜帯から出る電波が心臓ペースメーカーなどの醫(yī)療器具に影響を與えると言われており、優(yōu)先席近くでは攜帯の電源を切らなければならないのは理解できる。これも民度の高さを表していると言えるだろう。しかし、他の場所でも攜帯で通話してはいけないというのは、日本人でもその理由がよく分からない問題だ。このルールは、日本人でも不便に感じることが多く、インターネット上でもスレッドが立ち上げられて熱い論議が交わされているが、その根拠にたどりつくことはできていない。

どの先進(jìn)國でも地下鉄で通話してはいけないかというと、そうではない。米國や歐州、シンガポールなどの地下鉄では、攜帯で電話しても問題ない。中には、通話中の音質(zhì)を向上させるために、鉄道會社が、電波の弱い所の電波を強める措置を講じている先進(jìn)國もあるという。そのようにして、地下鉄や電車がトンネルを通過するときも、乗客が通話できるようにしている。ほとんどの國では、地下鉄で通話が許されている。攜帯電話の電波が醫(yī)療機器に影響するという見方に懐疑的な聲を上げ、第三世代攜帯の影響がある範(fàn)囲はわずか3センチだという実験データを示して、優(yōu)先席の近くで攜帯電話の電源を切らなければならないというルールにも根拠がないとする日本のネットユーザーもいる。

唯一納得できる攜帯を使ってはいけない理由は「マナー」だ。しかし、問題は多くの日本人がその「マナー」を面倒に感じている點だ。これは決して解決できない問題ではない。できるだけ小さな聲であることを條件に地下鉄の車內(nèi)でも通話が許されるようになれば、周りの人に迷惑をかけずに、マナーを守りながら自分の用事も済ませることができ、一挙両得となるのではないだろうか?

実際には、地下鉄で電話してはいけないというのがマナーというよりは、お壽司を食べたり、著物を著たりするのと同じ習(xí)慣、文化にあたるといったほうが正しい。

多くの日本人は確かにマナーを守る。しかし、地下鉄で電話しないというのは、日本人のマナーが良いことの根拠にならないだけでなく、日本社會の他のさまざまな問題とも関係してくる。中には、その根拠を日本人でも説明できない暗黙のルールもたくさんある。そして、他の人がそうしているのだから、自分もそうすればいいと、わざわざその理由を考えることもしないことが多い。

▽みんな地下鉄では攜帯で電話しないのだから、電話する人はマナー違反▽みんな殘業(yè)しているのだから殘業(yè)は當(dāng)然で、しない人は多くの人に後ろ指を指される、そして、きつい労働や上司のいじめに耐えられずに自殺する人は、「弱い人」と批判される▽みんな有給を取らないため、有給を取る従業(yè)員は仕事がきらい、會社がきらいと見なされるのは當(dāng)然で、従業(yè)員が享受できる正當(dāng)な権利を守ろうと聲を上げる人は誰もいない▽女性は結(jié)婚後すぐに仕事を辭めるのは情理にかなっており、結(jié)婚後も會社で実力を発揮して、自身の社會的価値を?qū)g現(xiàn)している女性は変わり者▽自分もいじめられたから、自分の地位が高くなったりすると、これみよがしに自分より弱い人をいじめても罪悪感を感じる必要はない、といったような暗黙のルールが存在する。

中國人が日本社會の良い所を探し、それに學(xué)ぶのは間違いなくいいことだ。しかし、謙虛な気持ちで學(xué)ぶということと盲目的に日本を稱賛することは異なり、障子の紙よりも薄いような表面的な部分だけを見てはならない。日本人が地下鉄で通話しないといっても、郷に入れば郷に従えという考えに基づいて、日本で働いたり、勉強したり、旅行したりするときにその社會的習(xí)慣を尊重しなければならないというだけのことであって、地下鉄で通話しないのが正しくて、通話するのは間違いとみなすことはできない。

また、日本の考え方が最先端で、レベルが高く、中國の考え方は遅れていてレベルが低いとみなすこともできない。日本人がお壽司や刺身を食べているからといって、中國人もすぐに川に入って魚を捕まえそれを刺身で食べる必要はないはずだ。日本の小學(xué)生は6年間同じランドセルを使うからと言って、中國人も1年生の子供に重くて大きな6年生と同じカバンを背負(fù)わせる必要はないはずだ。日本の學(xué)生が冬でも短パン、スカートで學(xué)校に通っているからと言って、中國の子供も足を出した服裝で學(xué)校に行かなければならないわけではないはずだ。

グローバル化のメリットの一つは、さまざまな國の人たちが互いの文明に觸れることができる點だ。現(xiàn)在、日本人が地下鉄で通話しないのを見て、絶賛する外國人もいれば、それを誇りにしている日本人もいる。しかし、將來、日本社會の進(jìn)歩や変革を見た時に、地下鉄で攜帯を使えるようになったことを高く評価する日が來ることはないと、誰が言えよう。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集KN)

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