<羅針盤>スポーツチームを企業(yè)が持つ意義=地域や社會(huì)に貢獻(xiàn)を―立石信雄オムロン元會(huì)長

立石信雄    2017年6月11日(日) 5時(shí)10分

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企業(yè)がスポーツチームを持つ目的は、従業(yè)員の一體感の醸成、士気高揚(yáng)、企業(yè)PR、社會(huì)貢獻(xiàn)など様々だが、近年、企業(yè)チームの休?廃部が増えている。背景を探ると、経営環(huán)境の悪化に加えて、多くの要因が浮かび上がる。

オムロンのハンドボール部オーナーを務(wù)めていた時(shí)、ハンドボール日本リーグ開催地責(zé)任者會(huì)議で講演する機(jī)會(huì)があり、企業(yè)がスポーツチームを持つ意義などについて話したことがある。

企業(yè)がスポーツチームを持つ目的は、従業(yè)員の一體感の醸成、士気高揚(yáng)、企業(yè)PR、社會(huì)貢獻(xiàn)など様々だが、近年、企業(yè)チームの休?廃部が増えている。

こうした企業(yè)スポーツの休?廃部の背景を探ると、経営環(huán)境の悪化に加えて、(1)福利厚生?社內(nèi)求心力、士気高揚(yáng)など「企業(yè)スポーツが従來持っていた位置付け」の変化、(2)チームを持つことによるメリット(広告宣伝効果)の希薄化などが要因として挙げられる。

 

他方、わが國のトップレベルの競(jìng)技者の多くは、企業(yè)のスポーツチームに所屬し活動(dòng)を行っているのが現(xiàn)狀である。企業(yè)は、多くのトップレベル競(jìng)技者の生活を支援するとともに安定した練習(xí)環(huán)境を與えるなど、わが國の競(jìng)技スポーツの振興?レベルアップに大きく貢獻(xiàn)してきた。このことは、たとえば過去のアテネオリンピック(2004年)で入賞した日本選手のうち、企業(yè)スポーツ選手の入賞者が男子25人、女子59人と全體の51%を占めていたことからも明らかである(スポーツデザイン研究所調(diào)べ)。企業(yè)はスポーツチームが休部や廃部に追い込まれ、優(yōu)秀な競(jìng)技者の活動(dòng)基盤が失われつつあることは憂慮すべき事態(tài)である。

スポーツチームを何のために持つのか、企業(yè)は改めてチームの存在意義と使命を考える時(shí)に來ている。企業(yè)にはスポーツチームを持つことの意義を認(rèn)めた上で、できるだけ継続の努力をしてもらいたいものである。スポーツ支援を企業(yè)市民の実踐における地域貢獻(xiàn)の一つと位置付け、地域の子供たちの指導(dǎo)にも手を貸すなど社會(huì)貢獻(xiàn)活動(dòng)を行うべきである。

國としても、オリンピック、世界選手権大會(huì)のために積極的な支援策を推進(jìn)し始めているのは大変喜ばしいことである。

 

例えば、當(dāng)社ハンドボール部ではハンドボールの楽しさや奧深さを知ってもらい、競(jìng)技人口を増やしていこうと、小?中?高校生を?qū)澫螭说氐坤手笇?dǎo)?交流會(huì)を年間200回以上行っている。特に、チームを置いている地元の熊本県山鹿市では市教育委員會(huì)とタイアップし、小學(xué)校の授業(yè)の一環(huán)として巡回指導(dǎo)を行っている。子どもたちにとっては、ハンドボールについての理解が深まるだけでなく、日本のトップレベルの選手と交流できる貴重な機(jī)會(huì)となっている。

このように、試合で実績を上げることだけでなく、スポーツを地域貢獻(xiàn)に役立てることも、チームの重要な活動(dòng)の一つと考える。

 

これからの企業(yè)スポーツは、地域や社會(huì)に対する視點(diǎn)を持って活動(dòng)していくことが重要である。そして、いかなるスポーツを支援するにしろ、確固たる企業(yè)理念をバックボーンに據(jù)えて支援を行っていくことが大切である。

立石信雄(たていし?のぶお) 1936年大阪府生まれ。1959年同志社大學(xué)卒業(yè)後、立石電機(jī)販売に入社。1962年米國コロンビア大學(xué)大學(xué)院に留學(xué)。1965年立石電機(jī)(現(xiàn)オムロン)取締役。1995年代表取締役會(huì)長。2003年相談役。日本経団連?國際労働委員會(huì)委員長、海外事業(yè)活動(dòng)関連協(xié)議會(huì)(CBCC)會(huì)長など歴任。南開大學(xué)、中山大學(xué)、復(fù)旦大學(xué)、上海交通大學(xué)各顧問教授、北京大學(xué)日本研究センター、華南大學(xué)日本研究所各顧問。

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機(jī)販売に入社。1965年立石電機(jī)(現(xiàn)オムロン株式會(huì)社)取締役。1995年代表取締役會(huì)長。2003年相談役。 日本経団連?國際労働委員長、海外事業(yè)活動(dòng)関連協(xié)議會(huì)(CBCC)會(huì)長など歴任?!弗蕙庭弗幞螗趣?a target='_blank' href='http://www.wenhuatang.com/search.php?filter=ノーベル賞'>ノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名譽(yù)文化博士。中國?北京大、南開大、上海交通大、復(fù)旦大などの顧問教授や顧問を務(wù)めている。SAM(日本経営近代化協(xié)會(huì))名譽(yù)會(huì)長。エッセイスト。

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