<コラム>日本の百貨店の中國進(jìn)出史=蘇州にあった大丸、大連にあった三越、済南にあった高島屋

工藤 和直    2017年6月18日(日) 14時30分

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我が國の百貨店海外進(jìn)出は、1899年2月に高島屋がフランス?リヨンに販売事務(wù)所を開設(shè)した事から始まる。寫真は筆者提供。

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我が國の百貨店海外進(jìn)出は、1899年(明治32年)2月に高島屋がフランス?リヨンに販売事務(wù)所を開設(shè)した事から始まる。小売目的で海外に出店進(jìn)出を始めたのは1906年10月、三越が京城(ソウル)に進(jìn)出したのが最初である。明治末期から海外進(jìn)出を積極的に展開したのは、三越?高島屋?大丸?松坂屋?そごう?白木屋の6社であった。

その他の寫真

蘇州城內(nèi)の中心地に観前街という日本の銀座?上海の南京路の小型版と言えるショッピング街がある。終日歩行者天國でもあり、中心には玄妙観という大寺院がある。その前の宮巷をしばらく行くと、「人民商場」という建物に出くわす。この建物が戦前に進(jìn)出した「大丸:大丸洋行」である。「蘇州大丸百貨店」の寫真に寫っているのは大丸跡地になる人民商場ビルの戦後間もない頃の建屋である?,F(xiàn)在は今風(fēng)の建物になっているが、その骨格はそのままである。1938年3月に商工省は「大陸百貨店進(jìn)出要請」を発令する。その地域への物資の流通を百貨店に擔(dān)當(dāng)させたのである。三越の記録にも「満鉄の理事から、社員諸氏へ日用品を廉価で供給せさしむべく、早急なる大連出店要請があり」とある。

大丸は當(dāng)初、華北地域を調(diào)査した。最終的には1938年に南京に雑貨食料店を開設(shè)した。その翌年の1939年に上海文路店に引き続き大丸蘇州店(百貨店)を開業(yè)、2300坪の売り場面積は當(dāng)時とすれば、三越大連店と同規(guī)模であった。その後、1940年に天津(400坪)、1943年にはシンガポール店(3000坪)を開業(yè)した。商工省としては、各社に擔(dān)當(dāng)?shù)赜颏蚍謸?dān)させた。白木屋は杭州、高島屋は南京、松坂屋は蕪湖、そして蘇州は大丸が分擔(dān)となった。大丸はその地理的要因もあり拡大した背景には、鉄道の開通が1908年にあったからである。ちょうど北1.5キロに蘇州駅ができ、それまでは運(yùn)河を利用した水運(yùn)が主力であったが、ここに鉄道を大量運(yùn)送手段とした事が幸いしたのであろう。

1906年、三越百貨店は京城(ソウル)に日本初の海外展開を行い、翌年には大連にも出店した(1907年)。この大連三越は今でも市內(nèi)中山路に「秋林女店」としてピンク色にはなったが建屋はそのまま使われている。大連は日本の建築物が多い。満鉄経営の大和ホテル(現(xiàn)大連賓館)などは今でも現(xiàn)役である。同じく京城(ソウル)三越は戦後「新世界百貨店」本店として現(xiàn)在も運(yùn)営されている。

山東省済南市の済南駅前に広がった舊市街地に古い日本の建物がいくつも見える。教會や日本郵便局跡、日本軍駐在司令部跡(経二路162號)などである。経二路276號は緯五路と交差する東南角で現(xiàn)在公安局交通警察支隊となっているが、ここは日本の高島屋百貨店(済南出張店)の跡である。

高島屋の海外進(jìn)出は、1899年(明治32年)フランス?リヨンに始まり、中國は1905年(明治38年)に天津事務(wù)所、1938年の南京出張店に次いで1941年に済南出張店が開業(yè)した。高島屋のHPなど見ると、現(xiàn)在上海地下鉄10號線伊梨路にある店舗を中國一號店と宣伝しているが、戦前中國に進(jìn)出したことは書かれていない。確かに官需受注による軍の命令下であったかも知れないが、この建物の寫真「高島屋」は消せない歴史である。

戦後、多くの百貨店が海外展開を成功させるが、戦前経験した海外進(jìn)出ノウハウが有効に作用した結(jié)果と言えよう。また、その根源には海外経験駐在者という「人」が多く居たからである。事業(yè)の根幹は「人」であるとことを再度思い知った次第である。

參考文獻(xiàn):戦前?戦中期における百貨店の海外進(jìn)出(川端基夫)

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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