秋澤 文芳 2017年6月17日(土) 0時40分
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現(xiàn)在、河北省保定市に屬する「安新地區(qū)」(県)と「雄」地區(qū)(県)に來ている。確かにここは誰がみても「凄い」地域であり、全くの田舎の町が変貌し、今後の「経済発展」が大いに期待されるところではある。筆者撮影。
■これからはリニアで結ばれて一大経済開発區(qū)に、「雄安新區(qū)」の現(xiàn)在の実態(tài)は
現(xiàn)在、河北省保定市に屬する「安新地區(qū)」(県)と「雄」地區(qū)(県)に來ている。確かにここは誰がみても「凄い」地域であり、全くの田舎の町が変貌し、今後の「経済発展」が大いに期待されるところではある。
いったい何が「凄い」のか、と問われることも多いので、現(xiàn)狀のままを報告したい。それは、何よりもまず、「不便極まりない」ということだ。かつての河北省の省都?保定市管轄の、この2つの県をまとめて開発新區(qū)にしようとするわけだが、この2つの県を結ぶ鉄道もなければ直通のバスもない。
今回、地図を片手にスマホを見ながら、この2拠點を1日で視察?學習しようという意気込みで北京からの列車に飛び乗った。これまで、全國の農村、郷村の観光開発と規(guī)制について実態(tài)を見て回ってきたが、この2拠點についても十分な文化?観光の要素はあるはずだ。
■あくまで「視察?見學」の一環(huán)であり、「調査(諜報)」ではないということ
この2拠點に関しては「観察」という名目で列車の切符も予約をおこなった。実は、視察?観光であれば全く問題はないが、仮にも実態(tài)「調査」で視察をするということは、中國側からすると「諜報」活動の意味になり、(スパイ活動にもなる)ということも外部の方から言われていたので、ノートや地図?メモ帳にもその「調査」というコトバは一切使用していない。(時期が時期だけに、例え観光であろうと『言葉』や活動には十分に留意する必要もある)。
話は戻るが、今後も継続的に「北京?天津?河北」が1つになって(一帯三路?)開発を進めようという案件が多くなりそうだが、問題視されるのは交通の不便さと、人口の流入と経済等の産業(yè)をどう調和させるか、が大きな課題?キーとなってくる。
■路線バス、中距離バスを4回乗継ぎ、まさに「田舎めぐりの旅」でもあった
參考までに、北京駅を8時45分の快速列車で安新県の最寄り駅である「徐水駅」(保定駅の手前)へたどり著いた(20元弱で10時12分著)。駅前広場前の道路で106路線バスにのり「南駅バスターミナル」へ。乗ること數(shù)分。このターミナルから小型バスで安新県の三元地區(qū)へ(終點:停留所もなければターミナルもない。普通の道路の脇で全員が下車させられた。小型バス19名定員のところ、35名も乗車していた。運賃は7元で冷房もなく、1時間余の、西部劇に出てくるような狹い道路と建設重機が両側に立ち並ぶ異様な光景の村をいくつか通り過ぎた)。
ここからが大変だった。乗り継ぎバスを捜すために、歩き回ること20分。同じ三元地區(qū)の「二三五路」というバス停もなければターミナルもない、バス乗り場をやっと探しあて、最終目的地の雄県へ向かった。これまで、バスに乗るたびに運転手や係員(ガイド?車掌?集金人)に尋ねても、その先の乗り継ぎバスについては管轄外ということもあり、皆、「知らない、わからない、何とかなるだろう」とそっけない返事であった。バスのターミナル內においても、バスの時刻表は表示されてないし、料金掲載もない。すべて窓口の係官に尋ねるほかはなかった。中國一の経済「特區(qū)?新區(qū)」を目指すには輸送?サービスも含めたインフラの充実も急務だ。
「安新地區(qū)」ではまだまだ「特區(qū)?新區(qū)」らしき様子の地域は全くない。この安新県から雄県に向かう途中の壯大な農地らしきところと、県政府の建物から次の目的地の雄県へのアクセス道路を含めて、2地區(qū)が一體となり「雄安」開発地區(qū)になるという感じであった。
■車中で思わぬ助っ人に出會いこの先に明るさが
ここまでは乗り物捜しが大変であったが、安新地區(qū)から雄県に向かう車中にて、思わぬ
大きな収穫があった。車窓から県政府の建物や観光地となる施設等を2つのカメラで撮影していると、後部に座っている若い男性から思わぬ助言があった。寫真を撮り、メモを取っていると、私自身が疑問に思っていたことや、この先の旅程等の組み立てで困っていることに対して、私が質問をすることなく、ほぼすべてを解説してくれたことだ。
バスが通り過ぎる度に、さまざまな建物?施設の名前や役割、そしてこれから続く道幅の広い大きな道路の先が、本當の開発地區(qū)?地域であることなどを細かく説明してくれたこと、さらにこの先のバスの乗り継ぎ方法(また乗り継ぎなのかとちょっぴり不安にも感じたりはしたが)、目的の経由地まで親切にも丁寧にアドバイスをしてくれたことに感謝をしたい。
■途中の農村風景と農作業(yè)、麥の天日干しが続く道路を一直線
バスは途中までは、高速道路並みの素晴らしく整備された経済新區(qū)に相応しい道路を東に向けて突っ走っていたが、途中から再び舊い町並みのなかのデコボコ道に突入し、道路の両脇にはずらりと農家が立ち並び、道路上では小麥の陽乾しが延々と繰りひろげられ、その麥の上を生き角バスやトラック、乗用車等が容赦なく踏みつけながら走り去っていく姿が30分近くも続いた。やはり、この地區(qū)も昔ながらの農家が中心となった地區(qū)が多々あるとわかったが、さて、2年後、3年後にはこのような地區(qū)、農家もどう変化していくのかも注目されるところだ。
さて、バスは再び道幅の広い新しい道路に出かかり、大きな交差點のところで若者が教えてくれたとおり、無事に到著し、次の乗り継ぎを待った。(ここまで、バス代は8元、約1時間の所要であった)。乗ってきたバスは私1人が下車した。バスは次なる目的地雄県の終點に向かったのだろうか。下車した交差點近くで、自動三輪車を拾い、開発區(qū)方面である中心地へのんびりと向かった。所要10分、10元であった。
■再び路線バスで目的地の1つ、経済開発地區(qū)へ
朝7時に宿舎を出て、この場所までたどり著いたのが15時であった。振り返ってみると車捜しに時間ばかりがかかり、朝食、晝食をとることも忘れていた。しかし、この先、時間も読めないことから、引き続きの路線バス探しを続けたが、路線バス104路の終點に「経済開発區(qū)」が記されていたこともあり、新ピカのそのバスに思わず飛び乗った。おそらく、私同様にこの目的地を訪れる人も増えてきたのだろうか、バスは新しく、車內も経路図からはじまり冷房も完備されたまさに快適な「路線バスの旅」となった。街の中心部から乗車すること10分程度だ。(復路は、この路線バスの終點のバスターミナルで下車し、ここから北京へ長距離バスで戻れる。今後、この地區(qū)へ「視察」に出掛ける方は參考にしていただければ幸甚です)。
■ここからが正念場、深センのような特區(qū)が本當に実現(xiàn)できるのだろうか
ここが、あと數(shù)年先には中國隨一の「経済開発?新區(qū)」となるところだ。とはいえ、まだ発表されてから2カ月しか経過していない。街中には「新區(qū)?歓迎」のポスターと、「核心的習主席」のスローガンがみられる程度である。開発スピードはまだまだこれからである。もちろん、この先何が起きるかも見通すこともできない。
6月13日にたまたま手にした北京晩報の1面には北京地區(qū)からリニア構想で10分余り、という夢のような構想が報じられていた。今後、この2地區(qū)がどのように変貌し、経済のみならず庶民の生活や周囲の環(huán)境が大きく変化する可能性もある。確実に言えることは不動産のとてつもない値上がりと道路に面した商店、建物等の表面的な化粧直しは確実に行われていくであろう。
中國にもこのような特區(qū)?新區(qū)等がここ數(shù)年続々と現(xiàn)れてきたが、以前にも述べたとおり、昨年、私が訪れた特區(qū)?新區(qū)はことごとく廃墟の地區(qū)になっていた。交通の整備と生活人口250萬人都市をこれから造成し実現(xiàn)化することも大変だ。投資額も膨大な數(shù)字だ。來年末ころには山村地區(qū)にも巨大な都市の一部が浮かび上がってくることであろう。
■やはり中國からは目が離せない、灼熱(しゃくねつ)の北京より
この先の中國の夢を想定しながら、いよいよ北京へ戻る時間が近づいてきた。復路は、直行の長距離バスがあって、電車のほぼ倍の50元ほどであった。直通電車、それもリニア利用なら10分程度とも報じられていた。やはり中國からは目が離せない。
灼熱の、真夏の天気とも思える北京。16日は二外大の全學部の卒業(yè)式。お世話になった學生たち、卒論などでアドバイスや相談を受けた學生もいよいよ卒業(yè)で社會に育っていく。また、留學生の中には日本へ戻るものもいれば、そのまま北京にて就職をするものもいる。皆、卒業(yè)服を著ての出席だ。私自身は、引き続き、體力が続く限りあと10年ほどは研究生として続ける予定だ。中國もそのころまでには再び激変が続く毎日なのではないだろうか。
■筆者プロフィール:秋澤 文芳
東京(豊洲)在住。1973年千葉大學卒。日本旅行業(yè)協(xié)會を経て2010年より北京第二外國語學院大學旅游管理學部研究生として現(xiàn)在も在籍。工學院大孔子學院旅講師、東京都日中友好協(xié)會常務理事として交流促進。観光文化ツーリズム(株)代表として旅游企畫?訪日インバウンドに取組む。
東京(豊洲)在住。日本旅行業(yè)協(xié)會を経て2010年より北京第二外國語學院大學旅游科學學院研究生として現(xiàn)在も在籍。東京都日中友好協(xié)會副理事長?経済ビジネス委員會委員長。日中観光文化研究所、観光文化ツーリズム等の代表として旅游?訪日インバウンドやコンサル業(yè)務に取組む。 Facebookはこちら※フォローはメッセージ付きで。ブログはこちら個人ブログ
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