人民網(wǎng)日本語版 2017年6月30日(金) 22時(shí)10分
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6月24日、ドイツの首都ベルリン近郊のシェーネフェルト國際空港には、現(xiàn)地の政府関係者や報(bào)道陣、一般人など多くの人が集まっていた。待っていたのは、中國からやって來たパンダの「夢夢(メンメン)」と「嬌慶(チアオチン)」の到著だった。
6月24日、ドイツの首都ベルリン近郊のシェーネフェルト國際空港には、現(xiàn)地の政府関係者や報(bào)道陣、一般人など多くの人が集まっていた。待っていたのは、有名人の到著ではなく、特別貨物機(jī)に10時(shí)間以上乗って中國からやって來たパンダの「夢夢(メンメン)」と「嬌慶(チアオチン)」の到著だった。この「スペシャルゲスト」を迎えるために、ドイツ人では盛大な歓迎セレモニーが開催されたほか、敷地面積約5500平方メートルの2頭のパンダの「新居」も準(zhǔn)備された。
ここ數(shù)十年、パンダが訪れた場所全てで「パンダフィーバー」が巻き起こっている。何とも言えない愛らしい姿の中國のパンダは、世界中に無數(shù)のファンを抱えると同時(shí)に、中國の外交において、「親善大使」として重要な役割を果たしており、最も知名度の高い中國のシンボルともなっている。
海外の「パンダファン」の歴史は、1000年以上前の唐の時(shí)代にまで遡ることができる。當(dāng)時(shí)、パンダは、國禮として日本の天皇に贈(zèng)られたと言われている。また、1938年に英國に渡ったパンダは、英國の國民と共に第二次世界大戦を経験した。
1949年に中華人民共和國が成立してからも、パンダは「親善大使」として活躍してきた。例えば、1957年、中國は舊ソ連にパンダ「平平(ピンピン)」を贈(zèng)った。72年には、當(dāng)時(shí)のニクソン米大統(tǒng)領(lǐng)が「砕氷の旅」として訪中。訪中2日目に、「パンダファン」のニクソン夫人が北京動(dòng)物園を訪れた際にパンダを見學(xué)した。そして、訪中の最終段階で、周恩來総理がパーティで、四川省寶興県のパンダ「玲玲(リンリン)」と「興興(シンシン)」を國禮として、米國の國民に寄贈(zèng)すると突然発表し、ニクソン大統(tǒng)領(lǐng)夫妻を大喜びさせた。數(shù)十日後に、パンダ2頭が専用機(jī)のボーイング707機(jī)に乗って太平洋を渡り、ワシントンに到著すると、雨が降っていたにもかかわらず、米國人8000人以上が迎えた。ワシントンのスミソニアン國立動(dòng)物園におけるパンダ初公開の日には、2萬人以上が訪れた。この年は、米國では「パンダイヤー」と呼ばれている。
その後、パンダは西洋で大人気になり、パンダは「親善大使」として、友好國に寄贈(zèng)されるようになった。しかし、82年以降はパンダの生息環(huán)境が悪化し、個(gè)體數(shù)も激減したため、中國政府は外國へのパンダ寄贈(zèng)を停止した。それでも、パンダの「海外への旅」は中斷することなく、1984年からは、パンダをレンタル方式で外國に貸し出すようになった。
2016年末の時(shí)點(diǎn)で、中國パンダ保護(hù)研究センターは、10カ國の動(dòng)物園12カ所と、科學(xué)研究の面における提攜を展開しており、同センターのパンダ計(jì)26頭が海外で暮らしている。パンダは文化交流の懸け橋として、その獨(dú)特の可愛らしさを武器に、中國と世界各國の友好関係の発展を見守ってきた。
今年1月、國連開発計(jì)畫(UNDP)は、世界から選出した「パンダ大使」17人を発表した。世界五大陸の14カ國から來た17人は、「貧困をなくそう」、「人や國の不平等をなくそう」、「気候変動(dòng)に具體的な対策を」「安全な水とトイレを世界中に」、「飢餓をゼロに」などの目標(biāo)を掲げた、國連の持続可能な17の発展目標(biāo)をPRしている。多くの人に親しまれ、世界中で愛されているパンダのイメージを活用して、國連はこの17人を「パンダ大使」と呼んでいる。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集KN)
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