Record China 2017年7月7日(金) 12時50分
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日中戦爭の発火點となった1937年7月7日の「盧溝橋事件」から80年となる。偶発的な衝突は全面戦爭に発展。45年8月の終戦まで8年間にわたった戦火の傷跡は、今も日中両國に重くのしかかっている。寫真は盧溝橋。
2017年7月7日、日中戦爭の発火點となった「盧溝橋事件」から7日で80年。北京郊外で起きた偶発的な衝突だったが、その後中國大陸を舞臺にした全面戦爭に発展。中國側(cè)は日本による侵略戦爭と位置付ける。1945年8月の終戦まで8年間にわたった戦火の傷跡は、今も日中両國に重くのしかかっている。
盧溝橋は北京西郊の永定河に架かる石橋。13世紀に中國を訪れたマルコ?ポーロの「東方見聞録」にも登場する。義和団事件後の1901年、北京議定書で清朝が外國軍隊の認め、歐米列強はほぼ撤退したが、日本軍は邦人保護などを理由に盧溝橋周辺に駐屯していた。
1937年7月7日、夜間演習中の日本軍が実弾射撃音を聞いたことをきっかけに近くにいた中國兵との戦闘になった。中國では「七七事変」と呼ばれる。宣戦布告なき戦爭は、やがて中國全土に拡大。盧溝橋事件から1年余の間に日本軍は、中國の主要都市と交通路のほとんどを占領(lǐng)したが、それはいわば「點と線」の支配にすぎず、中國共産黨と國民黨は「國共合作」で抵抗した。
中國政府によると、泥沼化した日中戦爭の犠牲者は3500萬人。1972年9月の日中共同聲明には「日本側(cè)は過去において、日本國が戦爭を通じて中國國民に重大な損害を與えた責任を痛感し、深く反省する」との文言が盛り込まれたが、戦爭の歴史をめぐる論爭は現(xiàn)在も続いている。
例えば、中國側(cè)が一般市民を含め30萬人が虐殺されたと主張する37年12月の南京事件。日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない。被害者の具體的な人數(shù)については諸説あり、どれが正しい數(shù)かを認定することは困難」との立場だが、中國政府は昨年12月、安倍晉三首相が米ハワイの真珠灣を訪問した際、「南京には來ないのか。中國にも弔うべき場所が多くある」などと非難した。
こうした中、中國國営新華社通信によると、盧溝橋近くにある「中國人民抗日戦爭記念館」は80周年に合わせ、米國が日本占領(lǐng)後に集めた事件當時の日本政府の電報や文書を整理、編集した「日本中國侵略密電•七七事変」を刊行した。3編に分かれ、計51冊に上る大作で「日本軍國主義の『自供書』であり、また侵略の罪行の確固とした証拠」としている。
一方、日中戦爭の當事者だった國民黨が逃れた臺灣は、盧溝橋事件80周年に背を向けている。臺灣メディアによると、臺灣國防部は事件から5年ごと10年ごとの節(jié)目の年に記念展を開いてきたが、今年は開催を見送った。その背景には獨立志向が強い民進黨?蔡英文政権が進める「脫中國化」の動きがあるとみられ、波紋を広げている。(編集/日向)
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