私の心に殘る「堅(jiān)物」な日本人、日本で體験した恥ずかしい出來事―中國コラム

Record China    2017年7月10日(月) 12時(shí)40分

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中國のポータルサイト?テンセントは9日、日本滯在経験を持つ人物が書いたコラムを掲載し、日本で體験した忘れられないエピソードを紹介した。資料寫真。

中國のポータルサイト?テンセント(QQ)は9日、日本滯在経験を持つ人物が書いたコラムを掲載し、日本で體験した忘れられないエピソードを紹介した。

1990年代初め、私は日本に留學(xué)し都內(nèi)の留學(xué)生用のアパートに住んでいた。ある日の朝、急いでいたために燃えるごみを捨て忘れてしまった。帰宅後四畳半の部屋にごみの臭いが充満していたため、「ばれないだろう」と考え翌日燃えないごみに紛れ込ませ捨てた。その日の夜、帰宅すると向かいの住民に呼び止められ、私が朝捨てた燃えるごみを手渡され注意された。顔を真っ赤にして何度も謝ったことをよく覚えている。私が日本でごみ捨てに配慮しなかったのは後にも先にもこの一件だけだった。

道路清掃のアルバイトでの出來事も深く印象に殘っている。バイトの內(nèi)容は誤って道路にこぼしてしまったペンキをきれいにするというものだったが、3人がかりで炎天下の中1時(shí)間以上作業(yè)してもきれいにはならなかった。ペンキがこぼれた場所は辺ぴな道路でそれほど目立つ汚れ方もしていなかったため私は「あきらめよう」と提案したが、責(zé)任者の日本人は「だめ!だめ!」と作業(yè)を続けた。當(dāng)時(shí)は「堅(jiān)物だな」と不満を抱いたものだが、彼らの公共場所に対する責(zé)任感の強(qiáng)さはずっと心に殘り続けている。

近年日本に観光する中國人が増え、日本がいかに清潔であるかは多くの人が目にしている。ただ、なぜ日本が清潔なのかを理解している人は少ない。街が清潔でいられるには、公徳心と羞恥心を持つことが必要。この二つは教養(yǎng)であり、教育を通して伝えられる。日本の公徳教育は儒教の教えを基にしているため、中國がその教えの本家と言える。ただ、その教えを基に人々から尊敬される環(huán)境をつくり出したのは日本人の方である。(翻訳?編集/內(nèi)山)

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