中國(guó)でも大人気の作家、東野圭吾の意外な過(guò)去―中國(guó)メディア

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版    2017年7月15日(土) 21時(shí)40分

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東野圭吾氏は日本の有名な推理小説作家であり、その作品の中でも「容疑者Xの獻(xiàn)身」は特に人気が高い。

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東野圭吾氏は日本の有名な推理小説作家であり、その作品の中でも「容疑者Xの獻(xiàn)身」は特に人気が高い。このほど「人魚の眠る家」の中國(guó)語(yǔ)版が出版されると、各大手通販プラットフォームのベストセラーランキングに早々と登場(chǎng)し、情報(bào)コミュニティサイト?豆瓣網(wǎng)では7.4ポイントの點(diǎn)數(shù)がつけられ、なかなか好評(píng)を博している。今や大人気作家となった東野氏だが、創(chuàng)作においては「冬の時(shí)代」を経験したこともあり、最初に就いた職業(yè)は自動(dòng)車部品メーカーの技術(shù)者だった。中國(guó)新聞網(wǎng)が伝えた。

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業(yè)界の垣根を乗り越えて作品を生み出す東野氏は、なぜこれほど人気があるのだろうか?!笍?fù)蘇人」や「秘密調(diào)査師」などの作品がある有名ミステリー作家の永城氏は、「東野圭吾氏の小説が人気を集めるのは2つの特徴があるからだ。1つは推理が緻密で、ストーリーのプロットがしっかりしていること。もう1つは人間の本質(zhì)を見(jiàn)つめていることだ。東野氏にとって推理小説は人間の本質(zhì)を描き出すツールに過(guò)ぎない。一部の作品は厳密には推理小説とはいえないが、ミステリー的なムードや推理の點(diǎn)ではまったく遜色がない」と話す。

東野氏は今や、江戸川亂歩賞、日本推理作家協(xié)會(huì)賞、直木賞の數(shù)少ない「三冠王」であり、ベストセラー作家だが、大學(xué)では電気工學(xué)を?qū)煿イ?、最初に就いた仕事は自?dòng)車部品メーカーの技術(shù)職だったことはあまり知られていない。専業(yè)の作家になったのは、1985年に「放課後」で第31回江戸川亂歩賞を受賞してからのことだ。

推理小説には主に本格派と社會(huì)派の2つの流れがある。本格派は厳密な推理による謎解きの小説、社會(huì)派は犯罪を描くことで社會(huì)の現(xiàn)実や人間の複雑さをえぐり出す小説だ。本格推理小説には100年以上の歴史があり、一連のスタイルやモデルが確立されている。探偵にはあまり賢くない助手がいるとか、吹雪が吹き荒れる雪山や孤島で事件が起きるなどだ。東野氏の初期の作品「放課後」などは本格派に屬していた。

當(dāng)時(shí)は1980年代から90年代の時(shí)期にあたり、日本の推理小説界は「新本格」ブームに沸き、作品が次々生まれていた。「新本格」とは「トリックの設(shè)定からトリックの解明まで」が行われることが前提で、そこにさらに獨(dú)自の設(shè)定を組み込んだ推理小説を指す。この時(shí)代にあって、「社會(huì)派」寄りの著実な作品を書いていた東野氏が推理小説界の潮流と相容れないことは明らかで、東野氏自身、後にインタビューに答える中で、「正統(tǒng)派の本格推理小説を書く人はたくさんいたので、わざわざ自分が書く必要はないと思った。自分は自分にしか書けない作品を書こうと思った」と振り返っている。

こうして江戸川亂歩賞を受賞してから長(zhǎng)い間、東野氏は大量の作品を生みだしたが、注目度はそれほど高くなかった。99年には「秘密」で日本推理作家協(xié)會(huì)賞を受賞した。

新経典文化股フン有限公司(フンはにんべんに分)で副編集長(zhǎng)を務(wù)める黎遙さんは、「『秘密』はミステリーの殻に包まれたラブストーリーだ。この斬新な內(nèi)容の作品がきっかけとなり、新しい読者層が切り拓かれ、東野氏は一躍人気作家となった。直木賞を受賞した時(shí)には、すでに押しも押されもせぬ人気作家だった」と話す。

東野氏の頂點(diǎn)を示す「容疑者Xの獻(xiàn)身」は、何カ國(guó)語(yǔ)にも翻訳され、直木賞と本格ミステリ大賞をダブル受賞した作品だ。主人公は天才數(shù)學(xué)者?石神哲哉とアパートの隣室に住む花岡靖子。娘と身を寄せ合って暮らしていた靖子は、暴力を振るう元夫を誤って殺してしまい、救いの手をさしのべた石神の指示によって、思いがけないトリックをしかけていく。

東野氏の作品にまったく欠點(diǎn)がないわけではない。豆瓣網(wǎng)でも「『人魚の眠る家』は言いたいことはシンプルなのに、冗長(zhǎng)な繰り返しが多く、読んでいて非常につまらなかった」というコメントがみられたり、「東野圭吾の小説は言葉がぶちぶち切れている」と評(píng)する人もいる。黎さんは、「これは日本語(yǔ)の表現(xiàn)方法や文章作法と関係がある。日本の作家は1つの出來(lái)事の前後関係をはっきり描寫することを好むが、東野圭吾の言葉は相対的に簡(jiǎn)潔だといえる」との見(jiàn)方を示す。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集KS)

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