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日本で見(jiàn)たミュージカルに衝撃!「劇団四季」に加入した中國(guó)人女性―中國(guó)メディア

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版    2017年7月14日(金) 20時(shí)40分

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6月23日、北京では大雨が降りしきる夜となったものの、保利劇院は熱気に満ち、「ピンクの?!工然筏皮い?。

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6月23日、北京では大雨が降りしきる夜となったものの、保利劇院は熱気に満ち、「ピンクの海」と化していた。

その他の寫(xiě)真

その日、保利劇院では、心あたたまるファミリーミュージカル「人間になりたがった貓」が上演された。その夜、同劇院の大ホールには、忙しく働いている女性の姿があった。彼女は、このミュージカルを企畫(huà)し、プロデューサーを務(wù)めた日本の劇団四季の中國(guó)代表?王翔淺さんだ。

◇北京から東京に行きミュージカルに出會(huì)う

大學(xué)卒業(yè)後、中國(guó)語(yǔ)を?qū)熼T(mén)に學(xué)んだ王さんは、北京人民蕓術(shù)劇院に入社し、宣伝?企畫(huà)、スクリプターなどの仕事をするようになった。その間に、朱旭や朱琳、任寶賢など経験豊富なアーティストと出會(huì)うことができ、伝統(tǒng)演劇に関するスキルを磨いた。その後、日本に留學(xué)し、好きな演劇を?qū)熼T(mén)に東京大學(xué)や東京學(xué)蕓大學(xué)で學(xué)んだ。當(dāng)時(shí)は1990年代で、多様性に富み、自由で、新鮮な日本の演劇に王さんは感銘を受けた?!府?dāng)時(shí)、東京ではほぼ毎日、演劇を見(jiàn)ることができた。そして、日本の演劇は表現(xiàn)方法や內(nèi)容の面でとても自由で、歌舞伎などの伝統(tǒng)演劇はチケットを手に入れるのも難しいほどの人気。西洋風(fēng)の現(xiàn)代演劇も若者の間で人気を博している」という。

2002年、日本で働くようになっていた王さんは、會(huì)社の企畫(huà)で劇団四季のミュージカル「マンマ?ミーア!」を鑑賞しに行った。王さんにとっては人生初のミュージカルだった?!弗撺濠`ジカルという、歌と踴りと物語(yǔ)が完璧に融合されたアートを初めて見(jiàn)た。上演後は、観客と役者らが一緒に歌いながら踴り、なかなか劇場(chǎng)を後にしなかった。その時(shí)の衝撃と愉快な雰囲気は、伝統(tǒng)演劇では決して得られなかったもの。その時(shí)からミュージカルに夢(mèng)中になり、劇団四季が大好きになった」と王さん。

◇劇団四季に加入し北京人民蕓術(shù)劇院との架け橋に

劇団四季は80年代から、広く、深い友好交流を中國(guó)と展開(kāi)し、蕓術(shù)関連の大學(xué)に無(wú)償で演目や技術(shù)指導(dǎo)を提供してきたほか、複數(shù)のミュージカルやファミリーミュージカルの中國(guó)公演を行ってきた。また、育成にも務(wù)め、中國(guó)の役者が劇団內(nèi)で學(xué)び、働けるようにしてきた。04年、仕事の関係で王さんは日本の著名な演劇家で、劇団四季の創(chuàng)始者の一人である淺利慶太さんを取材した。その際、淺利さんは、「1983年に、日本で北京人民蕓術(shù)劇院の代表作である話(huà)劇『茶館』を見(jiàn)て、好感を持ったので北京人民蕓術(shù)劇院と提攜したい。また、中國(guó)の役者を起用して、劇団四季の中國(guó)語(yǔ)版ミュージカルを中國(guó)で上演したい」という願(yuàn)いを語(yǔ)った。

楽しい雰囲気の中で行われた取材の後、演劇を愛(ài)してやまない王さんは、正式に劇団四季に加入し、中國(guó)代表を務(wù)めるようになった。北京人民蕓術(shù)劇院で働いたことがあった王さんは、自然と劇団四季と北京人民蕓術(shù)劇院が意思の疎通を図るための架け橋となった。07年、北京人民蕓術(shù)劇院は慎重に検討した結(jié)果、劇団四季と提攜することに決め、「ハムレット」を腳本とし、淺利さんが監(jiān)督を務(wù)め、北京人民蕓術(shù)劇院の役者が上演することになった?!竸馑募兢违楗ぅ?、服裝、道具、舞臺(tái)効果、化粧などのスタッフがほぼ全員駆け付けて協(xié)力してくれた。北京人民蕓術(shù)劇院も、一番いい役者?スタッフを起用し、最終的に、王斑が主人公のハムレットを演じることになった。しかし、劇団四季も北京人民蕓術(shù)劇院も、長(zhǎng)い歴史を誇る演劇団體で、アートコンセプトや業(yè)務(wù)上の習(xí)慣などが既に形成されている。舞臺(tái)稽古の際に、雙方の役者やスタッフが息を合わせるのはとてもたいへんなこと。私も、劇団四季側(cè)と北京人民蕓術(shù)劇院の間に立って、通訳をしたり、調(diào)整を図ったりしていた。そして困難を乗り越えて『ハムレット』は大成功となった」と王さん。最終的に、「ハムレット」は北京人民蕓術(shù)劇院でまず13回上演され、その後、招きに応じる形で中國(guó)國(guó)家大劇院でも上演された。

劇団四季が日本語(yǔ)版「ハムレット」を上演していた10年6月、淺利さんは北京人民蕓術(shù)劇院を招き、「ハムレット」の上演を、東京の自由劇場(chǎng)で5回行った。同じ時(shí)に、同じ監(jiān)督が、異なる言語(yǔ)の「ハムレット」を指揮し、日本では大きな話(huà)題となった。また、「中日競(jìng)演」が日本で大きな話(huà)題となり、古くからの「ハムレット」ファンは日本語(yǔ)版と中國(guó)語(yǔ)版のチケットを買(mǎi)って、比較しながら鑑賞した。NHKも、北京人民蕓術(shù)劇院版「ハムレット」を放送した。同作品は、北京人民蕓術(shù)劇院の名作としてずっと殘されている。

◇「人間になりたがった貓」を中國(guó)で上映 「自信ある」

「中國(guó)の役者を起用して劇団四季の中國(guó)語(yǔ)版ミュージカルを中國(guó)で上演したい」というのが、淺利さんの2番目の願(yuàn)いだ?!竸馑募兢思尤毪筏皮椁?、それが私の夢(mèng)にもなった」と王さん。王さんは14年、劇団四季の元メンバーで中國(guó)に戻った仲間たちと、「四季歓歌文化蕓術(shù)有限公司」を立ち上げ、長(zhǎng)年の信頼関係があったため、劇団四季から「人間になりたがった貓」の上演ライセンスを手に入れることができた。

「人間になりたがった貓」は、劇団四季の名作ファミリーミュージカルで、米國(guó)の児童文學(xué)作家ロイド?アリグザンダーの小説を原作としている。同作品では、人間になるのが夢(mèng)である貓のライオネルが、魔法使いの主人?ステファヌスに魔法をかけられ、人間になる。そして、人間の街「ブライトフォード」の人々と一緒に過(guò)ごし、人と人の愛(ài)を感じるストーリーだ。79年に東京で初公演が行われて以降、「人間になりたがった貓」は日本で2000回以上上演され、オリジナルミュージカルとして、日本のミュージカルランキングトップ10に入っている。20年前、劇団四季が無(wú)償で著作権を提供し、中央戯劇學(xué)院のミュージカルクラスの教師、學(xué)生が「人間になりたがった貓」を中國(guó)で上演したことがある。計(jì)40回以上上演され、好評(píng)を博したほか、孫紅雷、趙永斌、侯巖松などの中國(guó)のミュージカル界の人気役者を輩出してきた。

「この作品は、長(zhǎng)い間、多くの観客を楽しませてきたミュージカル。この作品を中國(guó)で上演するに當(dāng)たり、私たちは自信に満ちている」。そう話(huà)す王さんによると、中國(guó)ではミュージカルの上演には、▽海外のミュージカルを上演する▽世界的に有名な作品を中國(guó)語(yǔ)版にリメイクする▽オリジナルミュージカルを作る---の3つの方法があるという?,F(xiàn)在、2番目の方法はあまり見(jiàn)られない。特に、日本のミュージカル作品をリメイクするという點(diǎn)では、「人間になりたがった貓」は、新たな道を切り開(kāi)いたといえる。

◇日本の名作を本當(dāng)の意味でローカライズ

今回上演される中國(guó)語(yǔ)版は、中國(guó)國(guó)內(nèi)外の一流の関係者を集めたエリートチームによってリメイクされ、中國(guó)の観客に最大限合わせるため、セリフから舞臺(tái)上での表現(xiàn)方法まで、ローカライズされている。腳本の翻訳は、中國(guó)語(yǔ)を母語(yǔ)とし、日本で長(zhǎng)年暮らした経験を持つ王さんにとっては難しいことではない。「でも、翻訳はローカライズの過(guò)程の一部分にすぎない。どのように文化の違いを乗り越え、上演を中國(guó)人観客にできるだけ身近なものにするかについて、私たちは、深く熟考した。

計(jì)畫(huà)をよく練り、それを熟成させるのに、3年の月日をかけ、王さん率いるチームはようやく今年「人間になりたがった貓」の上演にこぎつけた。今年はちょうど、中央戯劇學(xué)院の95年入學(xué)のミュージカルクラスの卒業(yè)20周年で、日中國(guó)交正?;?5周年にも當(dāng)たる。王さんは、それら全てが「縁」だと感じている?!杆饯郡沥?、一番いい時(shí)に、一番いいメンバーに出會(huì)うことができ、この作品を作り上げることができた」と王さん。北京公演終了後、同作品は、今月13日に上海で公演が行われ、中國(guó)全國(guó)ツアーが始まる。

◇こころの劇場(chǎng)シリーズを中國(guó)の子供たちに

演劇は生活に端を発していると同時(shí)に、生活をより一層味わいあるものにしなければならない。王さんは、「演劇を作る際、観衆(zhòng)に合わせることばかり考えていてはだめで、観衆(zhòng)の好みを基礎(chǔ)にしたうえで、観衆(zhòng)がアートという味わいある體験ができるようにしなければならない。そして、演劇を見(jiàn)た後、余韻に浸り、何か學(xué)べるようにしなければならない。特に、ファミリーミュージカルは、子供たちにおもしろいと思ってもらえるようにするほか、積極的な考え方になるよう導(dǎo)くものにしなければならない」とする。王さんと四季歓歌は今後も、劇団四季の名作をメインに、海外の優(yōu)秀な作品の中國(guó)上陸を目指す?!竸馑募兢摔?、子供を?qū)澫螭摔筏?、こころの劇?chǎng)シリーズ『ファミリーミュージカル』があり、1作目の『裸の王様』からこれまでに40作品以上を制作してきた?!喝碎gになりたがった貓』は、私たちのライセンス上演の作品第一號(hào)。大成功の作品でもあり、今後は、第二號(hào)、第三號(hào)を手掛け、シリーズ化していきたい」。

作品の輸入や公演の企畫(huà)のほか、四季歓歌は、日中両國(guó)の文化交流活動(dòng)にも攜わっている。昨年、四季歓歌は、中國(guó)人が日本へ行き、8日間で劇団四季の上演や歌舞伎、寶塚歌劇など、7公演を鑑賞するほか、劇団や美術(shù)館を見(jiàn)學(xué)したり、文化講座を聞いたりして、日本文化の魅力を感じることができる旅行ツアーを企畫(huà)した。

◇熱い日中文化交流が永続することを願(yuàn)う

文化人である王さんは、淺利さんの「政治は冷たく、文化は熱い」という言葉をずっと覚えている。そして、「文化交流という分野でできることをして、中國(guó)人にもっと日本について理解してもらえるようにしたい。近年、多くの中國(guó)人が日本文化に興味を持つようになっており、日中文化交流もどんどん豊富になっている。日中演劇交流に従事し、自分が日本で長(zhǎng)年の研究成果を大いに活用できるほか、日中両國(guó)の文化交流の懸け橋となれるということは、とてもおもしろく、とても有意義なことだと思う」と語(yǔ)った。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集KN)

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