戦時中毒ガスを製造していた舊日本兵、「私は加害者で犯罪者」―中國メディア

人民網(wǎng)日本語版    2017年7月20日(木) 7時0分

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今年は、南京大虐殺が起きて80周年で、日中國交正常化45周年にも當(dāng)たる。

今年は、南京大虐殺が起きて80周年で、中日國交正常化 45 周年にも當(dāng)たる。日中友好を記念し、若い世代に戦爭の歴史の真相を伝えようと、南京民間抗日戦爭博物館の呉先斌?館長が率いる訪日団はこのほど、広島を訪問し、日本の友好団體と共同で、15日から「閉ざされた記憶―ノーモア南京展」と題する特別展を開催している。

16日午後、特別シンポジウム「広島?南京をむすぶ平和友好のつどい」と「戦爭の記憶を継承する」が広島で行われた。シンポジウムでは、南京大虐殺の生存者?故李秀英さんの娘の陸玲さんが、母親が経験した苦しみについて語った。また、第二次世界大戦中、毒ガスの製造を行ったという藤本安馬さん(91)も駆けつけ、自分の経験を通して、舊日本兵が戦爭中に何をしたのかを語ったほか、毒ガス被害者に謝罪した。現(xiàn)代快報が報じた。

藤本さんは第二次世界大戦中、大久野島の毒ガス工場で毒ガスの製造に攜わった。シンポジウムで、藤本さんは自分の経験を通して、舊日本兵が戦爭中に何をしたのかを語った。スピーチが始まる前、藤本さんは、「1937年12月に南京が陥落した後、舊日本兵は殘酷な虐殺を行った。今年で南京大虐殺が起きて丸80年。私は南京大虐殺の犠牲者に哀悼の意を示したい」と話した。

「1941年、大久野島の毒ガス工場に行き、當(dāng)時の宣伝の影響を受けて、私の頭の中は軍國主義の思想でいっぱいだった。戦爭に1日でも早く勝利するために、訓(xùn)練中は一生懸命勉強した。私が作っていたのは中國人を殺すための毒ガス。私は絶対に忘れない。忘れれば、歴史を証明する機會を失ってしまう」と藤本さん。

毒ガス被害者に謝罪するため、藤本さんは2004年に中國を訪問し、南京大虐殺記念館を訪問して獻花と參拝も行った。また、當(dāng)時、舊日本軍が毒ガスを使用した河南省のある村も訪れた。 元々、村民は1000人以上だったのに、生き殘ったのは30人ほどだったという。「私は犠牲者の墓に獻花し、一人の生存者の方に土下座して謝罪した。中國の生存者はとても寛容で、平和を願っている。その生存者の方に、『あなたも被害者』と言ってもらったが、被害者である前に加害者であり、私が毒ガスを製造していなければ加害者も被害者もいない。私は毒ガスを製造した加害者で犯罪者」。

「言葉だけでの謝罪では、謝罪の目的を果たすことはできない。日本の軍國主義は今でも日本の政治の中に存在している。私は日本政府に、中國人に謝罪と賠償を行うよう、何度も求めており、毎年そのようにしている。03年からは日本政府に対して、中國への賠償を求める訴訟にも參加している」。

15日から「閉ざされた記憶―ノーモア南京展」と題する特別展が広島で始まった。藤本さんも特別展に訪れ、展示されている実物や寫真を真剣なまなざしで見ると同時に、それを記録した?!钢袊巍呵挨问陇蛲欷胜い韦稀⑨幛问陇螏煠趣工毪郡幛扦ⅳ搿护趣いΔ长趣铯钉瓮à?。これも、私たちが歴史を正視する絶好の機會」と藤本さん。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集KN)

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