人民網(wǎng)日本語版 2017年7月27日(木) 15時(shí)30分
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若い時(shí)、友達(dá)と一緒に北京の東直門のグルメ街である■街(■は竹かんむりに艮、その下に皿)に行き、夜遅くまでお酒を飲みながら、肉の串焼きやザリガニ料理を食べるのが好きだった。
若い時(shí)、友達(dá)と一緒に北京の東直門のグルメ街である■街(■は竹かんむりに艮、その下に皿)に行き、夜遅くまでお酒を飲みながら、肉の串焼きやザリガニ料理を食べるのが好きだった。そして、腳本家である私は友人に自分が作った物語を語っていた。このグルメ街でお酒を飲むのにはルールがあり、夜中に街をふらついている亡霊のために、帰る時(shí)にはお酒をコップ半分、料理を一口殘しておかなければならず、そうしなければ亡霊が家までついてくるとよく言ったものだ。もちろん、それは酒の席での「ネタ」に過ぎないが。(文:大米。光明網(wǎng)掲載)
このグルメ街は、元々「鬼街」と呼ばれていた?!腹斫帧工扦膝ぅ岍`ジが悪いため、発音はそのままで漢字を変え、現(xiàn)在の名前で呼ばれるようになった。しかし、「鬼街」が元々どんなところであったかは今でも多くの人が知っている。昔、東直門の橋の近くに中國(guó)古代の3足の酒器「爵」があったのを覚えている。今はそこに、祖先を祀るために穀物を盛るのに用いられる鉢形の器「■」が置かれている。このように中國(guó)の伝統(tǒng)文化の遺伝子において、「食」と「死」には密接な関係がある。
清の時(shí)代、北京の各城門にはそれぞれ異なる用途があり、用途に反して利用することはできなかった。例えば、東直門は、北京城內(nèi)に木材を運(yùn)ぶほか、城外に死體を運(yùn)ぶための門だった。深夜に死體を運(yùn)び出し、埋葬しに行く前に、人々はここで足を止め、お酒を飲みながら食事をし、お腹を満たして元?dú)荬颏膜堡?。明るく活気ある城?nèi)に対して、城外は真っ暗な墓地だった。その後、1949年に新中國(guó)が建國(guó)されるとそこには、いろんな物を売るたくさんの店が集まるようになった。しかし、國(guó)営の百貨店を含めてほとんどの店が長(zhǎng)続きせず、飲食店だけが繁盛していた。また、それらの飲食店は、日中はほとんど人気がないのに対して、夜になると大勢(shì)の客でにぎわう。反対に、平安大街に行くと、食欲はわかず、飲食店を見てもほとんど客はいない。これが文化、伝統(tǒng)、習(xí)慣である。
「食」と「死」には切っても切り離せない密接な関係がある。生きている間は、毎日必ず食事をし、この世を去る日になって初めて食べ物を消費(fèi)する必要がなくなる。その日には、親戚や友人らは宴會(huì)を行い、人が亡くなったという悲しみを、たくさん食べることで紛らわそうとする。中國(guó)古代の詩(shī)人?陶淵明は、「親戚は悲しみ余し、他人は已に歌う。 死し去らば何の道ふ所ぞ、體を託して山阿に同じくせん」と詠んだ。日本文化において、死に対する態(tài)度は、魏晉南北朝時(shí)代(220?589年)の型にはまらない態(tài)度を継承している。
ドラマ版「深夜食堂」の人気に乗り、映畫「続?深夜食堂」も中國(guó)で公開されている。前作とはイメージが異なる同作が描寫しているのは、「死」と「食」の関係だ。同作品は3つの小さなストーリーで構(gòu)成されており、オリジナルキャストが続投し、「深夜食堂」の作風(fēng)を保ちながらも、日本伝統(tǒng)文化において、料理よりも美しい「死の文化」を描寫している。このような作品スタイルのイメチェンに、中國(guó)の多くの「深夜食堂」ファンは、まだしっくりきていないようだ。中國(guó)伝統(tǒng)文化では、「病気」について語るのも縁起が悪いとされるため、「死」となるともっと敬遠(yuǎn)されてしまう。
日本文化の中心にあるのは「桜文化」で、日本人は、桜の花が咲いてはすぐに散っていく、儚く殘酷でありながら、心を奪われるその「美」が大好きだ。2009年に、第81回アカデミー賞外國(guó)語映畫賞を受賞した「おくりびと」は、「死の文化」を極めて美しく描いた作品と言える。
「続?深夜食堂」の、一つ目のストーリーの中心人物は孤獨(dú)な中年の女性ホワイトカラー。彼女は、夜になると喪服姿になって一人で街中を歩き回るのが趣味だ。彼女は戀人がほしく、喪服姿になると男性に一目置かれると思っている。
二つ目のストーリーは、少年と中年の女性の戀を描いている。夫が若くして亡くなり、一人息子に全ての希望を託す女性と、母親が子離れしてくれないことに悩むその息子が登場(chǎng)する。最終的に、その息子が母親のために作った「まずいそば」が、親子の溝を埋めることになる。
三つ目のストーリーは、若い時(shí)に夫と息子を捨てて駆け落ちした女性が年を取ってから東京に戻り、謝るために息子を探す様子を描いている。
映畫のラストの部分で、「めしや」のマスターは妻の墓參りをし、墓石を磨きながら「こないだのお客さん、親父さんが褒めてくれた豚汁、美味しいと言って食べてくれました」と話す。
この「死」と少し関係のある3つのストーリーから、日本文化特有の死に対する姿勢(shì)を垣間見ることができる。そこに激しい悲しみはなく、淡々と憂え悲しみ、その平淡な雰囲気が逆に見る人の涙を誘う。主人公が涙を浮かべて、笑いながら深夜食堂で最後の食事を食べるのを見ると、人生の苦痛や悩みから突然解放されるような思いになる。この世界において、「食」で解決できない苦痛はない。
同映畫の最大の特徴は「ゆっくり」としたペースだ。中國(guó)の多くの映畫?ドラマとは全く違うペースで、それを見ると、浮ついた心が落ち著いていくのを感じる。マスター役に黃磊(ホアン?レイ)が起用された中國(guó)版「深夜食堂」とは全く違う味わいがある。
日本ドラマのこのようなゆったりとしたリズムや人生に対する姿勢(shì)が、私はとても好きで、穏やかな気分にさせられる。夢(mèng)の中で「深夜食堂」の香りを漂わせていれば、死もそれほど恐く悲しいものでなくなる。
東直門のグルメ街でネオンが輝き、深夜までにぎわっているその雰囲気はとても自由だ。そこでは、疲れた旅人が素顔を見せており、泣いている人もいれば、笑っている人もいる。そして、歌を歌っているながしの姿もある。そこでもしも亡霊が私のもとに來て酒をくれと言うなら、私は酒を注ぎ、その人の話をゆっくり聞いてみたいものだ。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集KN)
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