人民網(wǎng)日本語(yǔ)版 2017年8月3日(木) 23時(shí)20分
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中國(guó)起源の「書(shū)の造形蕓術(shù)」書(shū)道。書(shū)道は日中両國(guó)の文化交流の上でも重要な役割を果たし続けてきた。今回は、北京の中央財(cái)経大學(xué)書(shū)法學(xué)科で中國(guó)人大學(xué)生たちに日本の書(shū)道を伝える莊村真琴さんをご紹介する。
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<在中日本人の記録番組>中國(guó)と共に生きる 第27回
【その他の寫(xiě)真】
中國(guó)起源の「書(shū)の造形蕓術(shù)」書(shū)道。書(shū)道は日中両國(guó)の文化交流の上でも重要な役割を果たし続けてきた。今回は、北京の中央財(cái)経大學(xué)書(shū)法學(xué)科で中國(guó)人大學(xué)生たちに日本の書(shū)道を伝える莊村真琴さんをご紹介する。(北京滯在歴10年)
■尊敬する恩師の勧めで中國(guó)へ
2歳10カ月から習(xí)字教室に通い始めた莊村さんは、道を聞かれても「あの面白い『う』の文字が書(shū)かれたうどん屋さんを右に曲がって」とユニークな説明をするほど文字にばかり興味を持つ子どもだった。中學(xué)時(shí)代に文部科學(xué)大臣賞を受賞したことがきっかけで書(shū)道の道に進(jìn)むことを決意。大學(xué)は書(shū)道學(xué)科に入學(xué)し、大學(xué)院にも進(jìn)學(xué)した。修士課程在籍中に1年間中國(guó)へ留學(xué)。修士課程修了後も恩師の勧めで中國(guó)行きを決意した。
■留學(xué)生活と教員への道
留學(xué)當(dāng)初の中國(guó)語(yǔ)は日常會(huì)話レベルだった莊村さんは、再度修士課程から學(xué)び直すことに。受講中も聞き取れない箇所などは同級(jí)生にジェスチャーを交えながら確認(rèn)する日々だった。博士課程2年の時(shí)、中國(guó)行きを勧めてくれた恩師であり、師匠でもある田中東竹氏が他界。留學(xué)を終えたら師匠の近くに戻りたいと考えていたため、莊村さんは行き場(chǎng)を失ってしまった形となった。そんな時(shí)、中國(guó)の大學(xué)の恩師から、中國(guó)の大學(xué)の教員にならないかと聲をかけられ、現(xiàn)在の中央財(cái)経大學(xué)の教員への道が開(kāi)けたのだという。
■講義は「実踐中心で」
大學(xué)での講義は、大學(xué)1年生の篆書(shū)や篆刻、隷書(shū)、大學(xué)2年生の「日本書(shū)法」、卒業(yè)論文等の指導(dǎo)を受け持つ莊村さん。「日本書(shū)法」の講義では、まず導(dǎo)入として、平安時(shí)代の書(shū)道家?小野道風(fēng)等の文字で日本と中國(guó)の「漢字」の違いに觸れる。その後、生徒達(dá)が最も興味を持っている平安時(shí)代の仮名の書(shū)き方を?qū)Wび、ある程度仮名が書(shū)けるようになったところで、料紙作りを體験するのだという。料紙とは、一般に書(shū)に用いる紙をさし、すでに奈良時(shí)代には、「漉き染め」などの染紙や、金や銀の細(xì)かい箔を散らしたものなど、美しく飾られた料紙があった。そして平安時(shí)代に盛んに作られるようになり、様々な技法で染料や顔料で色付けしたり、文様を刷り込んだり、金?銀の箔加工などの裝飾を施した紙を裝飾料紙と呼ぶ。
取材の日はちょうど料紙作りの講義で、その作業(yè)には中國(guó)では手に入りにくい道具も必要となるが、あえて中國(guó)で取り揃えられる材料を使用することにこだわっているという。このような、様々な実踐を取り入れる講義スタイルは生徒達(dá)にも非常に人気が高い。
大學(xué)2年生の侍さんは、「莊村先生の講義內(nèi)容はバラエティに富んでいます。料紙作りの他、日本の仮名文字を書(shū)く練習(xí)をしています。もともと日本文化にとても興味があったので、とてもためになります」と話す。
また、幼い頃から書(shū)道を習(xí)っていたという、同じく大學(xué)2年生の馬さんは、「莊村先生の講義では中日の書(shū)道の違いを?qū)Wんでいます。墨?硯(すずり)?筆?紙すべてにおいて中日には違いがあります。また、書(shū)の道具をよく知ることにより、書(shū)についてもより深く知ることができました。日本の書(shū)道を知ることによって、新たなインスピレーションを得られました?!工葻巅亭筏俊?/p>
■日中の書(shū)の違い
日本では小學(xué)3年生から毛筆による「書(shū)寫(xiě)」の講義が始まる。講義では手本を參考に、止めやはね、はらいに注意し、半紙いっぱいに漢字やひらがなを書(shū)く。
一方中國(guó)では、これまで書(shū)道は必須科目ではなかったため、書(shū)法學(xué)學(xué)科に入學(xué)する學(xué)生は習(xí)い事や受験対策専門(mén)の塾などで筆の使い方を身に付けることが多いという。古典通り忠実に文字を書(shū)く練習(xí)を積んでいるため、その面では長(zhǎng)けているが、受験対策の為に詰め込み學(xué)習(xí)をしている學(xué)生が多く、文字を大きく書(shū)き、細(xì)部に及び研究をする事には不慣れだ。作品を出展する際に縮こまらずにのびのびとした線質(zhì)の文字を書(shū)いて欲しいという願(yuàn)いから、大きな紙に少字?jǐn)?shù)の文字を書(shū)くことを宿題とした。すると、生徒たちの文字は徐々に大きく生き生きとした線質(zhì)になった上、書(shū)道の腕も上達(dá)した。
大學(xué)の講義以外で、莊村さんは日本人の主婦や子ども向けの「書(shū)のお稽古」をする教室も開(kāi)いている。參加する生徒は、せっかく中國(guó)にいるので中國(guó)の書(shū)道を?qū)Wびたいという人や、日本のかな書(shū)道や篆刻を?qū)Wびたい人など、その理由も様々だ。
幼稚園から高校まで書(shū)道を習(xí)っていた生徒のなほさんは、「書(shū)道は何も考えず、心を落ち著かせて沒(méi)頭することができる趣味であり、なくてはならない生活の一部」と話す。
■莊村さんにとっての書(shū)の魅力
書(shū)の魅力について、「書(shū)とは、紙に言葉を書(shū)く文學(xué)蕓術(shù)。文學(xué)的根拠のある文字を、蕓術(shù)性を持ち、人の心に響くようなものを作る。そして、それを見(jiàn)る人が、そこから何かを感じ取ってくれたら、そこには人と人のつながりが生まれる」と語(yǔ)る。そうした思いを?qū)g際に表現(xiàn)するため、莊村さんは、音楽アーティストや、著名な花道家とのコラボレーションを行っている。ジャンルを超えた「アーティスト」たちが、互いを引き立て、それぞれ単體では出すことのできない新たな魅力を引き出すことができた瞬間の達(dá)成感が大きいのだという。
こうして中國(guó)に來(lái)たことで、日本では実現(xiàn)が難しかったことをいくつも実現(xiàn)させ、夢(mèng)が広がった莊村さん。今後は、「日本や日本の書(shū)道に興味があり、留學(xué)を考えている中國(guó)人學(xué)生たちに、より多くの選択肢を與えたい」と考えている。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?洪東実)
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