人民網(wǎng)日本語版 2017年8月15日(火) 16時(shí)50分
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毎年8月15日は、國(guó)際社會(huì)とりわけ東アジア地域にとって非常に敏感な日となる。この日には、それぞれの國(guó)がそれぞれの感情を覚え、それぞれ異なる歴史の記憶を呼び起こす。
毎年8月15日は、國(guó)際社會(huì)とりわけ東アジア地域にとって非常に敏感な日となる。この日には、それぞれの國(guó)がそれぞれの感情を覚え、それぞれ異なる歴史の記憶を呼び起こす。日本は、毎年8月15日にどのような感情を抱くのだろうか。どのような歴史の記憶を呼び起こすのだろうか。またはわざとこれを忘れ、あえてこれを回避しようとするのか。もしくは平靜を裝い、A級(jí)戦犯の祀られたあの神社に行き、見世物をしようというのだろうか。(文:厖中鵬?中國(guó)社會(huì)科學(xué)院日本研究所副研究員)
72年が過ぎた今年も、8月15日がやってきた。歴史はこれまでと同じように悠然とした歩みを続けている。だが魂の奧深くにあるあの記憶の數(shù)々は忘れられるべきではない。8月15日を振り返り、歴史の中で起こった出來事を思い起こしながら、日本はいかに前進(jìn)していくべきなのだろうか。
安倍首相が再び政権に就いて5年近くが経った。在任期間ではかれば、安倍首相は自らを誇りに思って當(dāng)然だろう。安倍首相は、首相が頻繁に交替していたそれまでの流れを止めた。だが第2次安倍內(nèi)閣以來の歴史観と、日本の政界を「右旋回」させたその具體的な表れから見れば、安倍內(nèi)閣の5年は、日本が國(guó)際社會(huì)を極めて不安にさせた5年であり、日本が國(guó)際社會(huì)を極めて警戒させた5年であり、日本が國(guó)際社會(huì)を極めて困惑させ、理解の困難を感じさせた5年だったとも言える。
今年もまた8月15日がやって來た。見たくないのは、日本の政界のさまざまな政治家が靖國(guó)神社に參拝に行く光景である。毎年8月15日になると、A級(jí)戦犯を祀った靖國(guó)神社には決まって、多くの日本の政治家が參拝に出かける。これらの政治家は參拝しながら、その參拜の本當(dāng)の目的はいったい何なのか考えたことがあるのだろうか。本當(dāng)に亡き霊を供養(yǎng)するのが目的なのか?!笟s史」を追憶することが目的なのか。それともただいつか入閣する時(shí)のために世論の凖備をしているつもりなのだろうか。目的が何であるにせよ、覚えておかなければならないことが一つある。靖國(guó)神社は、日本の対外侵略戦爭(zhēng)に自ら參加し、被害國(guó)の人々の血で両手の汚れたA級(jí)戦犯を祀っているということだ。日本の今日のエリートたちが何の気兼ねもなくこの神社に公に參拜できるということは、日本本國(guó)にとっては大した影響もないことかもしれない。だが國(guó)際社會(huì)の無數(shù)の目に直面し、被害を受けた國(guó)の無數(shù)の人々の悲しき亡霊の視線を受ける時(shí)、日本はどんな思いでこれに耐えられるのだろうか。
今年もまた8月15日がやって來た。第2次世界大戦の侵略の歴史を否定する逆流が日本の政界から次々と現(xiàn)れる光景も、見たくない光景だ。日本の政界では普通、日本の第2次大戦の侵略の歴史にかかわる事については何であっても、政治家はこれを回避するか、はなからまったく否定するという立場(chǎng)を取る。大勢(shì)の日本の右翼勢(shì)力にとっては、侵略戦爭(zhēng)もなく、虐殺の悪行もなく、慰安婦の強(qiáng)制連行もなく、細(xì)菌兵器もなかったということになってしまう。戦爭(zhēng)そのものに関しても、右翼の人の記憶の中では、戦爭(zhēng)は、日本のいわゆる「自存と発展、自衛(wèi)のための戦爭(zhēng)」だったということになる。日本の若者の心の中から戦爭(zhēng)の記憶を永遠(yuǎn)に消してしまうため、右翼勢(shì)力は費(fèi)用も精力も惜しまず、小中高校の歴史の教科書に手を加え、侵略戦爭(zhēng)の歴史を日本の歴史から完全に消そうと試みている。
今年もまた8月15日がやって來た。見たくないのは、日本が平和憲法を変更し、軍備強(qiáng)化の危険な歩みを進(jìn)める姿だ。第2次安倍內(nèi)閣発足からの5年近くは、日本が軍事領(lǐng)域で大きく冒険した5年だった。日本はすでに集団的自衛(wèi)権のタブーを解禁し、防衛(wèi)費(fèi)用はひっそりと年々高められ、大型武器裝備(軽空母「いずも」など)もおおっぴらに海外に向かっている。平和憲法は、日本が第2次大戦の手痛い失敗を経た日本が今後は平和発展の道を歩み、侵略戦爭(zhēng)の危険な道を二度と歩まないよう正して警告する「根本的な國(guó)家大綱」となった。だが安倍內(nèi)閣は今や、平和憲法に手を加えるチャンスを待ち構(gòu)え、日本の軍備強(qiáng)化に道を開こう、日本を再び軍事大國(guó)にするために新たな「國(guó)家大綱」を制定しようとしている。日本の戦爭(zhēng)という「猛獣」を抑えつけてきた平和憲法という鉄の檻がいったん破られれば、どのような結(jié)果が生まれるのだろうか。
今年もまた8月15日がやって來た。日本が日米同盟関係をますます強(qiáng)化し、日本の大國(guó)としての影響力を拡張しようという長(zhǎng)期的な戦略目的を米國(guó)の力を借りて実現(xiàn)しようという姿も見たくはない。米國(guó)のトランプ大統(tǒng)領(lǐng)は就任後、日本を「バッシング」した。だが安倍首相はこれを我慢し、日米同盟関係の強(qiáng)化を続け、電撃訪米してトランプとの私的な関係を縮めようとした。その裏の目的は、米國(guó)という「アニキ」にこれからも頼り、米國(guó)の影響力と支援を借りて、世界各地で日本の大國(guó)としての影響力を伸ばし、大國(guó)としての政治的な地位を再び手に入れることにほかならない。だが現(xiàn)在の米國(guó)のトランプ政権は、やる気はあっても體力がないといった狀態(tài)で、米國(guó)外交の戦略が曖昧になったこの時(shí)代、安倍內(nèi)閣が米國(guó)の威を借りようとしても果たしてそれができるだろうか。
今年もまた8月15日がやって來た。見たくないのは、日本が今後も「二枚舌」外交を続け、仲間を引き寄せて小集団を作って中國(guó)の発展を牽制しようとする姿だ。中國(guó)と周辺國(guó)の海洋をめぐる紛爭(zhēng)問題には、日本は特に力を入れているようだ。ある時(shí)には日米豪、またある時(shí)には日米印、さらにある時(shí)には日米ASEANと、日本はあちらこちらと関係を作るのに忙しい。その意図は、小集団をいくつも作り、中國(guó)の発展を牽制し、押さえ込むという目的を達(dá)成することにある。だがこのような小集団は、はっきりと受容されてもおらず、一致した求心力もなく、ともに守るべき約束もそれぞれをつなぐ精神的な紐帯もない。いかに中國(guó)を制約しようというのか。
今年もまた8月15日がやって來た。歴史の経験と教訓(xùn)は固く覚えておかなければならない。歴史の出來事が過去のものとなっても、歴史の事実は人々の間でいつまでも殘り続ける。
2017年は盧溝橋事変(盧溝橋事件)の80周年であり、南京大虐殺の犠牲となった同胞の記念の80周年でもある。2017年はまた日中國(guó)交正?;?5周年であり、來年は日中平和友好條約締結(jié)の40周年である。日中関係は最近、改善と好転の傾向を示している。日本はこのチャンスを大切にし、両國(guó)関係改善に向けたしっかりとした具體的な行動(dòng)によって、歴史の教訓(xùn)を汲み取り、平和発展の道を守るという意欲を示し、國(guó)際社會(huì)が安心するような態(tài)度で、これまでとは異なる8月15日を歩み出すべきだろう。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集MA)
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