人民網(wǎng)日本語版 2017年8月17日(木) 20時(shí)40分
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14日上映のドキュメンタリー映畫『二十二』は興行収入が1547萬元(約2億5600萬円)に達(dá)した。
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14日上映のドキュメンタリー映畫『二十二』は興行収入が1547萬元(約2億5600萬円)に達(dá)した。メガホンをとった郭柯監(jiān)督は以前、コストを差し引いて利益があった場合、こうした老人の今後の生活や慰安婦問題の研究に充てるため、上海師範(fàn)大學(xué)中國「慰安婦」問題研究センターに全額寄付するとした。
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映畫の描く元慰安婦たちのごく普通の暮らしぶりは、「映畫として衝突や技巧を欠く」と批評されもしたが、郭監(jiān)督はすでに數(shù)十年前に閉じた深い傷痕を開くようカメラの前で迫るのではなく、彼女たちの普段の暮らしぶりを撮影し続けた。郭監(jiān)督は、「もし彼女が自分の祖母だったら、私は痛ましい質(zhì)問に答えるよう求めるだろうか?」と話した。
■22人の生存者はわずか8人に
郭監(jiān)督の目に映る生存している元「慰安婦」たちは、愛すべき年長者であり、常人には想像しがたい苦難を受けた後もなお「この世界は本當(dāng)にいい」と微笑むことのできる落ち著いた老人だ。毛銀梅(舊名?樸車順)さんは1922年生まれ。1945年初め、日本人に騙されて韓國の農(nóng)村から中國湖北省漢口市にあった日本軍慰安所に送り込まれた。その後、混亂に乗じて脫走し、湖北省孝感市に到著。毛主席の苗字ににちなんで毛銀梅と改名し、それ以來70年間中國に留まった。カメラを向けられた毛さんは子供の頃の歌を歌うが、故郷に帰ることはなかった。毛さんが引き取って育てた一人娘が、養(yǎng)母の身上を知ったのは何年も後のことだ。
毛さん宅の裏庭にはクチナシの花が多く植えられている。映畫撮影時(shí)、毛さんは毎日たくさんの花を摘んで制作チームに贈(zèng)った。2017年1月18日、毛さんは94歳で亡くなった。2017年7月時(shí)點(diǎn)で、映畫に出た22人の生存者はわずか9人となっていたが、8月12日にもう一人の生存者である黃有良さんが亡くなったことで、わずか8人となった。
■制作費(fèi)を除く収益は全て寄付
現(xiàn)在、情報(bào)コミュニティサイト?豆瓣における同映畫の評価は8.9ポイント。あるネットユーザーは、「映畫館に入る前、彼女たちの境遇について、胸が痛むものだと心の準(zhǔn)備をしていた。だがそれよりも長く心に殘るものは、人間の善良さだった」と評価した。
郭監(jiān)督にとって、この映畫には興行収入より大きな意義があり、1%の上映割り當(dāng)てさえ得られれば満足だ。郭監(jiān)督は、「私は一銭も稼ぐつもりはない。コストを差し引いてもいくらか利益があった場合、あるだけ寄付して、彼女たちのために使いたい」と語った。
郭監(jiān)督は「慰安婦」という言葉を使うことを余り望まない。彼女たちは「とても普通で、善良で、いい」老人なのだ。
こうした映畫の撮影は、彼女たちに新たな心の傷を與えるだろうか?郭監(jiān)督は撮影前に長いこと考え、できるだけ彼女たちを傷つけないようにすることを望んだ?!副伺郡沥瘸酩幛葡颏悉?、時(shí)間をかけてよく知った後に、私たちは今回のような映畫撮影の方式を選んだのだ」と郭監(jiān)督。
また、郭監(jiān)督は、「私たちはあえてこのように淡々と記録してきた。何人かの老人は遠(yuǎn)目に少し映し、撮影機(jī)材は入り口に置いて室內(nèi)には入らず、ただ字幕をつけるだけにした。氏名、住まい、家族構(gòu)成などを15秒、20秒映す。映畫を見る人が彼女たちの生活を知ってくれれば、それで十分だと思う」とした。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集NA)
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