日中の國(guó)交がない時(shí)代に、B、C級(jí)戦犯を帰國(guó)させた「平和の使者」―『李徳全 日中國(guó)交正?;巍更S金のクサビ」を打ち込んだ中國(guó)人女性』

八牧浩行    2017年9月6日(水) 5時(shí)0分

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中華人民共和國(guó)の女性初の衛(wèi)生大臣?李徳全が、中國(guó)紅(赤)十字総會(huì)の代表団を率いて羽田空港に降り立ったのは1954年10月30日。中國(guó)政府と國(guó)交がない時(shí)代、戦犯とされ中國(guó)に殘っていた約1000人の日本人の帰國(guó)を?qū)g現(xiàn)した。寫(xiě)真は講演する作家?石川好氏。

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中華人民共和國(guó)の女性初の衛(wèi)生大臣?李徳全が、同國(guó)からのはじめての賓客として、中國(guó)紅(赤)十字総會(huì)の代表団を率いて羽田空港に降り立ったのは1954年10月30日。中國(guó)政府と國(guó)交がない時(shí)代、戦犯とされ中國(guó)に殘っていた約1000人の日本人の帰國(guó)を?qū)g現(xiàn)した。代表団は、日本に14日間滯在、後のLT貿(mào)易(廖承志、高碕達(dá)之助氏の頭文字を取り62年に始まった日中間の貿(mào)易事業(yè))に導(dǎo)くネットワークを作ったほか、日中民間交流のきっかけにもなった。

その他の寫(xiě)真

日中両國(guó)で埋もれた歴史になっている史実を発掘したのが、作家で元新日中21世紀(jì)委員會(huì)委員の石川好氏。李氏の功績(jī)を再評(píng)価することが日中関係改善に役立つ、との考えから両國(guó)関係者に働きかけ、ノンフィクション伝記の日中合作、同時(shí)出版『李徳全 日中國(guó)交正常化の「黃金のクサビ」を打ち込んだ中國(guó)人女性』(日本僑報(bào)社)を?qū)g現(xiàn)させた。取材執(zhí)筆は程麻中國(guó)社會(huì)科學(xué)院文學(xué)研究所教授と林振江北京大學(xué)日本研究センター常務(wù)理事(明治大學(xué)特任教授)。膨大な資料閲覧や関係者への聞き取り調(diào)査により、李徳全の足跡をたどり、その思想や秘話を世に出した。

◆日本中に感動(dòng)呼ぶ、日中友好のシンボルに

當(dāng)時(shí)、敗戦國(guó)の日本はまだ多くの國(guó)民を海外に殘していた。日本は臺(tái)灣と國(guó)交を持ち、中華人民共和國(guó)を承認(rèn)していなかったため、現(xiàn)地に殘された日本人居留民の引き揚(yáng)げには特別な配慮を必要としていた。特に、戦犯として中國(guó)に収監(jiān)されていた日本人については生死も分からぬ狀況が続いていた。李徳全はそのB?C級(jí)戦犯1000余人の名簿を攜えて日本を訪れたのである。

戦犯の留守家族をはじめ関係者からは大きな期待が寄せられたものの、その訪日は大きな危険と隣り合わせだった。新中國(guó)からの平和の使者に対して、反共主義者から危害を加えられたり、アメリカ、臺(tái)灣からの橫槍で身柄を拘束されたり、拉致されたりする可能性すらあった。しかし「李徳令の親しみやすい風(fēng)貌や、キリスト教を背景にもち聖母を思わせる隠やかな所作、そして弁舌さわやかな語(yǔ)り口は、日本人の『中共』に対するイメージを一新させ、日本中を感動(dòng)の渦に巻き込んでいった」という。

石川氏は8月25日の日本記者クラブでの講演で、「李徳全は日中民間交流の重要性を示した人物。日中両國(guó)で忘れられているが、彼女は將來(lái)の日中友好のシンボルになる可能性もある」と指摘。72年の國(guó)交回復(fù)以前には政府に頼らない実のある民間交流が行われており、今後の日中関係も「民間が先行し政府間交渉を促すような努力が必要だ」と訴えた。

◆現(xiàn)実を直視しない『中國(guó)崩壊本』『嫌中本』

また、石川氏は「日本は、1941年の対歐米開(kāi)戦時(shí)には當(dāng)時(shí)の主権國(guó)家の3分の2にあたる多數(shù)の國(guó)々に対し宣戦布告したのに、中國(guó)に対してだけは1931年以來(lái)宣戦布告もせず、事変扱いにして中國(guó)國(guó)內(nèi)で戦闘行為を行ってきた」と振り返り、「中國(guó)を他者として認(rèn)めてこなかったわけで、一段見(jiàn)下していた」と強(qiáng)調(diào)した。さらに「(日本で)この傾向は今でも続いており、中國(guó)が大きくなったことを認(rèn)めたくない心情が働いている。日本で『中國(guó)崩壊本』や『嫌中本』ばかりが溢れるのは、現(xiàn)実を全く直視していない証拠。中國(guó)にかなわない、負(fù)ける、ということを認(rèn)めて初めて和解が成立する」と問(wèn)題提起した。

林氏は、「中國(guó)紅十字會(huì)會(huì)長(zhǎng)として戦後初の訪日団を率い、中國(guó)在留日本人の引き揚(yáng)げに盡力した李徳全の功績(jī)を記念して、日本人戦犯が帰國(guó)の途についた天津港で、ゆかりの人々とともに集まり(訪中の)安倍首相をお迎えしたらどうだろう。もし習(xí)近平主席が天津で安倍首相を出迎え、雙方が固い握手を交わし、ともに北京入りすることができたら…。夢(mèng)のような話であるが。こんなシナリオが実現(xiàn)すれば、雙方が振り上げた拳を収めるよい舞臺(tái)になるだろう」と提案する。

 

今年は日中國(guó)交回復(fù)45周年の節(jié)目の年。國(guó)交回復(fù)の端緒にもなった李徳全の遺徳をしのび、李氏が帰國(guó)させた人々の留守家族による訪中団などの事業(yè)を計(jì)畫(huà)するのも一案だろう。

李徳全は貧しい家に生まれ、苦學(xué)して激動(dòng)期の中國(guó)を生き抜いたクリスチャン?!弗辚攻隶悭髮④姟工葒?guó)民に慕われた夫?馮玉祥とのなれそめから苦楽を共にするまでや、毛沢東周恩來(lái)、蔣介石ら共産黨や國(guó)民黨トップとの関わりも詳述され、「動(dòng)亂?中國(guó)」の歴史も概観できる。(八牧浩行

<監(jiān)修?石川好、程麻?林振江著『李徳全 日中國(guó)交正常化の「黃金のクサビ」を打ち込んだ中國(guó)人女性』(日本僑報(bào)社、1800円稅別)

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時(shí)事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長(zhǎng)、常務(wù)取締役編集局長(zhǎng)等を歴任。この間、財(cái)界、大蔵省、日銀キャップを務(wù)めたほか、歐州、米國(guó)、アフリカ、中東、アジア諸國(guó)を取材。英國(guó)?サッチャー首相、中國(guó)?李鵬首相をはじめ多くの首脳と會(huì)見(jiàn)。東京都日中友好協(xié)會(huì)特任顧問(wèn)。時(shí)事総合研究所客員研究員。著?共著に「中國(guó)危機(jī)ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外國(guó)為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

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