<中國系スポーツ人列伝>ホームラン王?王貞治、女子ソフト?宇津木麗華、大相撲?蒼國來、そして卓球ホープ?張本智和

Record China    2017年9月3日(日) 16時0分

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卓球のワールドツアーで14歳61日の最年少優(yōu)勝記録を打ち立てた張本智和の両親は中國出身。スポーツ界では「世界のホームラン王」王貞治やソフトボールの宇津木麗華、大相撲の蒼國來ら中國系が數(shù)多く活躍している。寫真は卓球用品。

2017年9月1日、卓球のワールドツアー、チェコ?オープンの男子シングルスで14歳61日の最年少優(yōu)勝記録を打ち立てた張本智和。両親は中國?四川省出身の卓球選手だ。日本のスポーツ界で活躍する中國系は「世界のホームラン王」王貞治をはじめ、女子ソフトボールの宇津木麗華、大相撲の蒼國來ら數(shù)多くいる。

現(xiàn)在、プロ野球の常勝軍団?ソフトバンクホークスの會長を務(wù)める王も國籍の壁に直面した一人だった。父親は浙江省出身で母親は富山県出身の日本人。1957年春の甲子園大會で早稲田実業(yè)の2年生エースとして優(yōu)勝に貢獻(xiàn)し、早実は國體にも選出されたが、王は中華民國(臺灣)籍で出場できなかった(その後、國籍條項(xiàng)は撤廃)。

巨人入団後の活躍は通算本塁打868本の世界記録、初の國民栄譽(yù)賞受賞など枚挙のいとまもないほど。そんな王もルーツは大事にしており、3人の娘には「理」を含む名前をつけた。日本人と結(jié)婚して姓が変わっても里は王家との意味が込められているという。

宇津木麗華は北京出身で中國名は任彥麗。中國の女子ソフトボールチームを経て1988年、25歳の時に日立高崎(當(dāng)時)の総監(jiān)督だった宇津木妙子に誘われて來日した。95年に日本國籍を取得。國籍を変える際は、元軍人の父親が猛反対したが、必死に説得した。日本名の姓は恩師と同じにし、名は中國名の「麗」と祖國の「華」を組み合わせた。

2000年のシドニー五輪では日本チームの主砲として銀メダルに導(dǎo)き、04年のアテネ五輪でも銅メダルを獲得。その後、指導(dǎo)者に転身し、日本チームの監(jiān)督として世界選手権で12年、14年と連覇した。昨年11月には監(jiān)督に再び就任、ソフトボールが正式競技に復(fù)活した3年後の東京五輪で金メダルを目指している。

內(nèi)モンゴル自治區(qū)出身の蒼國來(本名?恩和図布新=エンクトフシン)は、03年に荒汐部屋に入門。10年の1月場所で十両に昇進(jìn)し、中國で生まれ、育った初の関取になった。11年に明るみに出た大相撲の八百長疑惑に巻き込まれ、いったん解雇処分になったが、これを不服として裁判で爭い、約2年後に現(xiàn)役復(fù)帰を勝ち取った。

復(fù)帰場所となった13年7月場所の番付は、解雇時と同じ西前頭15枚目。さすがにブランクの影響は隠しきれず、一時は幕下転落の瀬戸際に追い込まれたが、徐々に復(fù)活し、今年1月場所では12勝3敗の好成績で初の三賞となる技能賞に輝いた。

歴史的な快挙を達(dá)成した張本は14年に日本國籍に変更済み。小學(xué)校卒業(yè)後、仙臺市の親元を離れ、日本オリンピック委員會が選手育成を目指して設(shè)立した東京のエリートアカデミーで卓球と勉學(xué)を両立させる生活を過ごしている。海外メディアが「奇跡の少年」「1世紀(jì)に1人」などと絶賛する逸材は、東京五輪で卓球界に君臨する中國勢の有力なライバルとなる可能性を秘めている。(編集/日向)

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