<在日中國人のブログ>「気仙沼の復(fù)興をみたい」臺(tái)灣の観光客の一言に私は…

黃 文葦    2017年9月10日(日) 20時(shí)0分

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6年前から、「気仙沼」という地名が頭の中に刻まれていた。8月末の週末、ついに気仙沼に旅した。寫真は筆者提供。

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6年前から、「気仙沼」という地名が頭の中に刻まれていた。8月末の週末、ついに気仙沼を旅した。

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朝、上野駅で新幹線に乗り、2時(shí)間後に一ノ関の駅に到著。ところが、JR大船渡線一ノ関駅に著いた途端、目の前で気仙沼行きの電車のドアが閉まった。次の電車は2時(shí)間後…。

30分後に大船渡線の観光車両「POKEMON with YOU トレイン」が來ると知り、駅の窓口に駆けつけたが、殘念ながら、駅員さんから「ポケモン電車は全部指定席で、満席です」と告げられた。

それでも、一ノ関駅に滯在していた2時(shí)間の中、ポケモン電車に出會(huì)えてラッキーだった。車內(nèi)外にピカチュウがいっぱい描かれている。乗れなかったが、見るだけで気持ちが楽しくなった。

ポケモン電車は、2012年12月、大船渡線の一ノ関?気仙沼の間を結(jié)ぶ臨時(shí)快速「ポケモントレイン気仙沼號(hào)」として営業(yè)運(yùn)転を開始した。週末や夏休み期間を中心に走っている。親子連れの乗客が多いようだ。気仙沼駅の前にも大きなピカチュウが立っている。気仙沼のバスとタクシーの多くに可愛いアニメキャラクターが描かれており、まるで街の風(fēng)景を背負(fù)って走っているようだ。気仙沼がかわいいピカチュウたちの力を借りて観光客を呼ぼうとしている。

駅前の観光案內(nèi)センターの方にすすめられ、運(yùn)賃100円の気仙沼市內(nèi)巡回観光バスで山の中のリアス?アーク美術(shù)館へ行った。ここでは「東日本大震災(zāi)の記録と津波の災(zāi)害史」を常設(shè)展示している。2011年3月11日から約2年間にわたる美術(shù)館獨(dú)自の調(diào)査記録資料として、被災(zāi)現(xiàn)場寫真、被災(zāi)物など資料総數(shù)約500點(diǎn)を展示しているという。美術(shù)館のスタッフによると、最近は海外からの団體ツアー客も見學(xué)に來ているとのこと。

気仙沼市內(nèi)も回ってみた。スーパーなど店の多くは、被災(zāi)現(xiàn)場の寫真を貼り付けている。気仙沼港にある魚市場では外壁いっぱいに被災(zāi)現(xiàn)場寫真を掲示し、目測でおよそ3メートルの高さにある入口の看板上部には「東日本大震災(zāi)津波水深ここまで」と線を引かれて記されている。

「海と生きる」、気仙沼の街および旅行宣伝資料の中に、よく見かける言葉である。何もかも津波に流された。それでも海を恨んではいない。自然に敬意を払い、海と生きているように感じる。

気仙沼の海は靜かで平和的な光景であった。白い漁船が港に並び、海辺の広い空き地には數(shù)棟の新築マンションが點(diǎn)在しちょっと寂しい空間のように感じた??栅丐燃窑ⅳ羴Kぶ一帯は間にはっきりした境界線が見える。いうまでもなく、6年前、津波が侵入したところである。

その後、気仙沼港でフェリーに乗って大島へ、25分後に到著した。大島は観光の島だと言われているが、正直言って想像したイメージと違い第一印象は観光地の雰囲気が弱かった。

大島港の周辺、トイレ、スーパー、観光案內(nèi)所などがすべて仮設(shè)の建物である。復(fù)興までまだまだ遠(yuǎn)いと感じた。建物には仮設(shè)があるけれども、人生には「仮期間」がない。

緑に囲まれる一軒の喫茶店を訪れた??亭纤?人なので、店主のおばあさんは私にいろいろと話してくれた。壁に貼られているボランティアの集合寫真が目立つ。「3?11その日、この家は2階の屋根まで浸水。私たちは高臺(tái)にあるお寺に避難した。周りの家はほとんど流された。この建物は丈夫で、倒れなかった。ボランティアたちが來てくれて、家を修復(fù)してくださった。おかげで、震災(zāi)後にも喫茶店を続けてきた。震災(zāi)前、この周りに商店街があった。津波で全部変わった。今、島は靜かになった」おばあさんが震災(zāi)前の大島商店街の寫真を手に、さまざまな思いを語ってくれた。

気仙沼の旅で、気仙沼の人々が「ご縁」と「ご恩」を大切にし、災(zāi)害史?災(zāi)害文化を大事にしていることが分かった。震災(zāi)地の「復(fù)舊」は不可能だ。新しい道を進(jìn)んで復(fù)興するしかない。日本では、「大島」という地名がたくさんある。気仙沼灣に浮かぶ大島は東北最大の有人離島、緑の真珠と謳われる。しかし、あえて言えば、観光の島としては緑だけでは足りない?,F(xiàn)在港の周りの荒れ地には雑草が広がっている。それはやや寂しい「緑」である。観光施設(shè)をもっと充実にしないと観光客は足を運(yùn)んでくれない。商店街を優(yōu)先的に復(fù)興させ、レジャー施設(shè)を開発させ、そして、孤獨(dú)な喫茶店が再び賑やかになってほしい。

一ノ関駅で帰りの新幹線を待つ間に臺(tái)灣の旅行団體に遭遇した。臺(tái)灣の観光客は「気仙沼の復(fù)興を見たいから來ました」と話していた。その一言に、「復(fù)興は気仙沼の観光資源」「気仙沼は正々堂々と復(fù)興の歩みを世界中に見せればいい」と感じた?!袱蓼縼砟辘蜗?、気仙沼と大島」私は心の中でそうつぶやき新幹線に乗った。

■筆者プロフィール:黃 文葦

在日中國人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ?、両國のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任?,F(xiàn)在、教育?社會(huì)?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國語と日本語の言語で執(zhí)筆すること及び両國の「真実」を相手國に伝えることを模索している。

■筆者プロフィール:黃 文葦

在日中國人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ贰I國のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任。現(xiàn)在、教育?社會(huì)?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國語と日本語の言語で執(zhí)筆すること及び両國の「真実」を相手國に伝えることを模索している。

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