日本僑報社 2017年9月17日(日) 12時30分
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浙江農(nóng)林大學(xué)の李聡さんは、日本人の先生の日々の行動から「自分らしい生き方」について多くを?qū)Wんだようだ。
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學(xué)校において教師の振る舞いとは、その多少や良し悪しに関わらず學(xué)生たちの人生に影響を與え得るものだ。浙江農(nóng)林大學(xué)の李聡さんは、日本人の先生の日々の行動から「自分らしい生き方」について多くを?qū)Wんだようだ。以下は李さんの作文。
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何かをいっぱいに入れた二つのビニール袋を持った、背の高い男の人が歩いて來た。その方は私のクラスの作文の授業(yè)を擔(dān)當されている遠藤先生だった。先生が持っていたのはクラス45人全員分の教科書だった。
先週、私たちは授業(yè)中に遠藤先生が出した作文の課題を教科書に書いた。チェックしたい先生は全て持って帰るより仕方がなかった。クラスメートは先生に「作文の部分だけ破いた方が手軽ではないですか」と言ったが、先生は「本を破くのはあまりよくないでしょう」とおっしゃった。それで、一人で45冊の本を持って帰り、やはり一人でそれを持って來たというわけだ。
班長と私は先生の手から袋を受け取って、その重さに驚いた。やはり宿題の部分だけ破いた方がよかっただろうと思った。たぶん先生は特別なお考えもなく、自然にそうしたのかもしれない。先生にとっては、本を大切にすることも、仕事として宿題をチェックすることも當たり前のことで、だから重くても頑張って運んだのだ。
先日、スマホが壊れた私はSNSも使えず、アリペイ(ネットの支払いシステム)もできず、不便な生活を強いられた。現(xiàn)代人はスマホの奴隷という事実を深く感じた。その間、ガラケーを使っていた私は、遠藤先生も同じ機種を使っていることに気づき、先生のスマホも壊れたのだろうか、きっと新しいスマホが欲しいだろうと思った。その後、先生にガラケーを使っている理由をうかがって、私の推測が間違いであったことを知った。
先生はこうおっしゃった。「スマホは便利だけど、今使っている攜帯は長い間、私に付き添ってくれたので思い入れがあります。便利だからとすぐ新しい物を買うより、今使ってる物を壊れるまで大切に使った方がいいじゃないですか。日常の用事を済ますだけならガラケーで十分でしょう」。世界ではスマホにコントロールされている人が後を絶たないが、スマホの奴隷にならずに、特別な姿でその中に立っている遠藤先生は尊敬に値する。
ある日、故郷の友達が遊びに來た。キャンパスで自転車に乗っている遠藤先生を見て、李さんの大學(xué)の先生、カッコイイねと感嘆した。遠藤先生はもう60代なのに、會う度にその若々しさに驚かされる。日本人の先生は車より自転車のような環(huán)境に配慮した交通手段の方が好きなようだ。中國では60歳以上の人間が自転車で出かける方が珍しい。若者の私でも、ちょっと遠い所へ行く時は、タクシーなどの手軽で速い乗り物を選ぶことが多い。先生が住んでいる所と授業(yè)をするキャンパスは遠く離れている。しかし、先生は速さと手軽さを追求しないで、古くても體と環(huán)境にいい自転車を選んでいる。
便利さと手軽さを求める風(fēng)潮が益々強くなっている社會で、なぜそのような空気にのまれずに、落ち著いて平靜を保てるのか。私たちはよく、自分が浮き足立った空気に包まれていると感じる。しかし、それを逆らえない空気だと決めつけてしまっているのは自分自身だ。自分が大変だと思うことでも、見る人によっては小さなことにすぎないこともあるのだ?!?5冊の本の重さ」と同じである??激ǚ酱蔚冥扦饯沃丐丹蠅浃铯毪韦馈?/p>
先生の日常の行動から學(xué)んだことはたくさんある。私も、世間の風(fēng)潮に流されない、自分だけの信念に基づいた価値観を持った遠藤先生のような人になりたい。(編集/北田)
※本文は、第十二回中國人の日本語作文コンクール受賞作品集「訪日中國人『爆買い』以外にできること」(段躍中編、日本僑報社、2016年)より、李聡さん(浙江農(nóng)林大學(xué))の作品「45冊の本の重さ」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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