<コラム>標(biāo)高3000メートルの高地に建つチベットの女學(xué)校、私がそこで感じたこと

武 小燕    2017年9月26日(火) 23時50分

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標(biāo)高3000メートル以上もある高原の峰々の中に、突然赤い屋根と白い壁のビルが現(xiàn)れた。そのすぐ後ろに神山と崇められた四角い山がそびえ立っている。寫真は筆者提供。

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標(biāo)高3000メートル以上もある高原の峰々の中に、突然赤い屋根と白い壁のビルが現(xiàn)れた。そのすぐ後ろに神山と崇められた四角い山がそびえ立っている。山は赤みのある褐色で、ビルの色はその風(fēng)景によく馴染んでいる。それは青海省ゴロク?チベット族自治州瑪沁県にある拉加女學(xué)校である。

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女學(xué)校はチベット族の僧侶ジメジャンザンが2005年に創(chuàng)設(shè)したものであり、「女児を教育することで母親の教育にもつながる。母親に対する教育は人類の教育の根本である」ことを理念としている。

ジメジャンザンは職業(yè)教育を中心とした男子學(xué)校の経営経験があり、女學(xué)校の創(chuàng)設(shè)ではその経験が生かされている。児童數(shù)が5年以內(nèi)に200人を超えたら公営化となる予定だったが、わずか2年でその目標(biāo)を達成した。女子教育にあまり積極的ではないチベット族の居住地域にもかかわらず、短期間で児童を集められたのは男子校で得られた信頼が大きく関係しているのだろう。2007年から教育理念、カリキュラム、場所を変えない條件の下で徐々に公立校に移行してきた。

筆者が訪問した2017年9月現(xiàn)在、在校生は522人、うち小學(xué)生は316人、中學(xué)生は206人。教職員は60數(shù)人で、教員は42人に上る。児童?生徒と教職員のほとんどはチベット族である。學(xué)校は山々に囲まれて、一番近い街でも車で約1時間かかる。在校生と教職員は皆寮生活で、月曜日から次週の木曜日の午前中まで學(xué)び、木曜日の午後から日曜日まで休む。ただ、自宅まで1日以上かかる人もおり、遠くから來た子どもは年に1、2回しか帰宅しない。在校生の多くは州內(nèi)の放牧地から來ているが、州外ひいては四川やチベットなど青海省以外の地域から來ている子もいる。

ゴロク?チベット族自治州は北海道よりやや小さい7.6萬平方キロメートルの広さで、人口は18萬人。平均標(biāo)高は4200メートル以上のため、酸素は地上の60%程度しかない。人口の約92%はチベット族であり、中國全土の30の少數(shù)民族自治州のなかで1つの民族が占める割合が最も多い地域である。広い土地でありながら人口が少ないため、車でゴロクを走ると延々と山の風(fēng)景が続き、20分間ほど走ってようやくテントと家畜を目にすることができる。

高地に加え雨量が少ないという厳しい自然環(huán)境のため、草は土の表面を覆っている程度。さらに、近年は溫暖化と羊や牛といった家畜の増加により、一部で砂漠化も確認され、生態(tài)圏の破壊が危懼されている。國は補助金の増加や放牧の制限、遊牧民の定住化など対策を講じているが、伝統(tǒng)的な生活スタイルを変えたくない人からは反対の意見も聞かれている。伝統(tǒng)と近代化の衝突を感じさせるものであった。

女學(xué)校の授業(yè)は中國語の國語以外は全てチベット語で行われ、「チベット語」という基礎(chǔ)科目もある。英語はチベット語と文法が似ているため人気があり、英語の語學(xué)力が高いということが意外だった。中國の學(xué)校では授業(yè)の合間にラジオ體操のような運動を行うが、この女學(xué)校では民族ダンスを取り入れている。

寄宿制度は「免除は1つ、補助は2つ」という政策のもとで、義務(wù)教育段階の寮生に対して、授業(yè)料を免除するほか、宿泊費と食費が補助される。また、この女學(xué)校ではノートなどの學(xué)習(xí)用品も一部支給されるため、ほとんどお金がかからないそうだ。一番大きな負擔(dān)は自宅から行き來する際の交通費になるのだろう。學(xué)校には常備薬もあり、これで対応できない時は教員が自家用車で一番近い拉加鎮(zhèn)にある病院まで連れていく。教員が醫(yī)療費を肩代わりすることも珍しくないという。ちなみに、學(xué)校から街までのバスがなく、教員らは拉加鎮(zhèn)で待ち合わせ、自家用車を持つ教員の車に便乗している。

この女學(xué)校は小中一貫の全寮制學(xué)校のため、教員が親代わりとなり低學(xué)年の子どもに対するケアに細心の注意を払っている。日本では公立校の教員が異動することも珍しくないが、中國では公立校の教員が異動することは少ない(本人の希望や地域のニーズなどで異動することもある)。

教員には笑顔があふれ、子どもたちの純粋さを感じ取ることができる。さらに自然に囲まれた環(huán)境のため、女學(xué)校を修道院と錯覚するほどである。私の訪問に同行してくれたのは前任の校長先生で、數(shù)カ月前まで學(xué)校に在籍していた。授業(yè)が終わると、彼の姿を見つけた子どもらが次から次へと集まり、口數(shù)は少ないものの、皆うれしそうに彼を見上げていた。一方で、私が話しかけようとすると、皆微笑んではくれるものの、頭を下げ恥ずかしそうに目線をそらしていた。結(jié)局話ができなかったが、あのピュアな笑顔はどこか人の心を動かす力を持っていると感じた。

學(xué)校が建設(shè)された當(dāng)初は1階建ての長屋だったが、公立校に移行してからは3、4階建ての教室や宿舎が建てられるようになった。音楽室、理科実験室、生物実験室なども整備されているところである。食堂には消毒設(shè)備が完備され、手を洗うといった近代的な衛(wèi)生観念も養(yǎng)うようにしている。教員たちの食堂は四角い部屋にあり、私が訪問した日のランチはアルミのお弁當(dāng)箱とチベット族の定番の干ビーフ、ミルクティーだった。先に著席した教員たちは雑談しながら食事していて朗らかな雰囲気であった。食べ終わったら席を譲り、次の人がランチを始めるというシステムだ。

ランチの後、私たちとともに前任校長先生が學(xué)校を後にしようとした際、教え子だった生徒たちはまた続々と集まり、彼を囲んだ。中には涙を見せる子もいた。數(shù)人の生徒は遠くからこちらに向かって深々とお辭儀をしており、教師と教え子の絆を強く感じさせられる瞬間であった。

學(xué)校の校門前の道路を約20分走ると町と町を繋げる主要道路に戻ることができ、その主要道路から女學(xué)校への道が始まるところに、「女校」と書かれている石が置かれている。行きは何も感じなかったが、帰り道でその石を見るとジメジャンザンが學(xué)校の場所にこだわった気持ちが少し分かったような気がする。

さようなら、拉加女學(xué)校。チベット族の中で子どもに教育を受けさせることは子どもに明るい目を與えることとたとえられている。この拉加女學(xué)校からきっと多くの明るい目をもった聡明でたくましい女性が生まれてくるだろう。厳しい自然環(huán)境でありながらこの女子校の創(chuàng)設(shè)と教育に盡くした全ての人々に深い敬意を表さざるを得ない気持ちでここを後にした。

■筆者プロフィール:武 小燕

中國出身、愛知県在住。中國の大學(xué)で日本語を?qū)Wんだ後、日系企業(yè)に入社。2002年に日本留學(xué)し、2011年に名古屋大學(xué)で博士號(教育學(xué))を取得。単著『改革開放後中國の愛國主義教育:社會の近代化と徳育の機能をめぐって』、共著『変容する中華世界の教育とアイデンティテ?!弧ⅰ簹s史教育の比較史』、研究報告書『多文化世帯に生きる子どもたちの言語習(xí)得に関する実証研究:愛知県における中國系世帯とブラジル系世帯の比較を通して』などがある?,F(xiàn)在名古屋付近の大學(xué)で研究と教育に取り組んでいる。一児の母として多文化教育を?qū)g踐中。教育、子育て、社會文化について幅広く関心をもっている。

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