吉田陽(yáng)介 2020年4月30日(木) 22時(shí)40分
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大學(xué)に進(jìn)學(xué)するのが珍しくなくなった現(xiàn)在、大學(xué)院に進(jìn)學(xué)して博士號(hào)を取る人も多くなり、「博士の価値」が下がっている。寫(xiě)真は中國(guó)の大學(xué)。
「末は博士か大臣か」という言葉のように、博士は「勝ち組」の代表的な存在だった。昔は大學(xué)進(jìn)學(xué)率も低かったので、大學(xué)院に進(jìn)んで博士號(hào)をとれば、アカデミックポストが約束されたようなものだった。
だが、大學(xué)に進(jìn)學(xué)するのが珍しくなくなった現(xiàn)在、大學(xué)院に進(jìn)學(xué)して博士號(hào)を取る人も多くなり、「博士の価値」が下がっている。そのため、職を得られない博士が少なくない。その傾向は中國(guó)も同じようだ。
「就職できない博士を減らせ」
必死になる中國(guó)政府
新型コロナウイルス肺炎騒動(dòng)は雇用にも大きな影響を與えた。それは大學(xué)を卒業(yè)する學(xué)生の就職にも影響を及ぼす。4月5日付の『中國(guó)新聞週刊』は大學(xué)院を卒業(yè)する博士の就職口確保のために、大學(xué)や研究機(jī)関で引き続き研究活動(dòng)に従事できるポスト「博士後(ポストドクター)」募集枠を拡大すると報(bào)じた。同誌によると、2月末の國(guó)務(wù)院常務(wù)委員會(huì)の會(huì)議で、「博士後」の枠の拡大が提起されたという。
募集枠拡大の目的は大學(xué)卒業(yè)者の雇用の安定だ。新型コロナウイルス肺炎騒動(dòng)によって影響を受けた企業(yè)は少なくなく、雇用情勢(shì)も厳しさを増す。中國(guó)政府は「就業(yè)は民生の本」と位置付けており、経済減速が顕著になった昨年から、中國(guó)政府は雇用をより促進(jìn)する措置を打ち出している。大學(xué)卒業(yè)者は「重點(diǎn)層」に位置付けられており、彼らの雇用確保を重視している?!覆┦酷帷工文技瘱槫驋埓螭筏撇┦孔錁I(yè)者を2~3年ポストにつけて、まずは大學(xué)卒業(yè)者の雇用を確保しようというのが目的だ。
「博士後」は博士號(hào)を取得した學(xué)生が研究者として一本立ちするために、指導(dǎo)教官について特定のテーマを研究するものだ。任期は2年で、35歳以下の若手研究者しか応募できない。身分は學(xué)生ではなく、研究者として扱われることになっているが、學(xué)生から見(jiàn)れば「博士後」に籍を置く研究者は先生という感覚だ。私が博士課程で勉強(qiáng)していた時(shí)に、必修科目の擔(dān)當(dāng)教員が不在のため、「博士後」の研究者が代わりに講義したことがあった。だから、私の中でも「『博士後』の研究者=先生」というイメージだった。
反対に、教授の目線(xiàn)で見(jiàn)れば、「博士後」の研究者は學(xué)生のような扱いだ。私は「博士後」の研究計(jì)畫(huà)発表會(huì)を傍聴したことがあるが、卒業(yè)論文の口頭試問(wèn)さながらに、指導(dǎo)教官が學(xué)生に問(wèn)題點(diǎn)を指摘する光景が見(jiàn)られた。
「博士後」の期間が終了したら、修了証が発行され、研究履歴としてカウントされる。
日本の博士號(hào)取得者も任期付研究職につくというパターンが多い。このポストは若手研究者が將來(lái)大學(xué)や研究機(jī)関で本格的に研究活動(dòng)を始めるための「過(guò)渡的」なものだ。中國(guó)の「博士後」も同様で、研究経験博士課程修了者にとっては「博士後」も卒業(yè)後の選択肢に入る。
「博士後」として學(xué)校に殘ると、學(xué)校の研究資源を利用できるだけでなく、アカデミックな肩書(shū)きもあるので、學(xué)術(shù)會(huì)議などで人脈を広げることもできる。こういういいところもあるので、いい大學(xué)の「博士後」は狹き門(mén)だ。
今回、「博士後」の募集枠が拡大される方向だが、ネット民のコメントが指摘するように、2?3年後はどうなるか分からないので、「問(wèn)題の先送り」のような感がある。
競(jìng)爭(zhēng)に負(fù)けたらプータロー
厳しい環(huán)境に置かれている博士
「博士後」に入れる人はまだいいのだが、博士卒業(yè)者がなかなか職にありつけないのは中國(guó)も同じだ。中國(guó)は人口が多い國(guó)だが、それは優(yōu)秀な人材も多いことを意味する。それだけに、競(jìng)爭(zhēng)が激しい。かくいう私も、中國(guó)の大學(xué)の博士課程を卒業(yè)したが、なかなか職にありつけなかった者の一人だ。
博士の就職先として考えられるのは、大學(xué)教員、研究機(jī)関、企業(yè)の研究部門(mén)だ。周知のように、こうしたところは「狹き門(mén)」で、応募したからといって、なかなか入れるようなところではない。有名大學(xué)の出身者でなければ、大學(xué)のポストにつくのは困難だ。だから、中途半端なレベルの博士は、満足いけるような仕事につくことはなかなかできない。私の場(chǎng)合は、卒業(yè)後しばらくプータロー狀態(tài)になり、何とか日本語(yǔ)を教える仕事にありつけた。
私が北京のとある私立大學(xué)で非常勤講師として日本語(yǔ)を教えていた時(shí)、同僚の教師は日本の大學(xué)で博士號(hào)を取った人だった?!溉毡編ⅳ辘坤?、もっといいところへ行けたのではないのですか」と問(wèn)いをぶつけると、「いや、私が卒業(yè)した大學(xué)は東京大學(xué)のような有名大學(xué)じゃないですから。大學(xué)に勤められるだけまだいいほうですよ」と返してきた。今は外國(guó)に留學(xué)する人も少なくなく、外國(guó)の大學(xué)で學(xué)位を取ったからといって、競(jìng)爭(zhēng)が激しいので、そう簡(jiǎn)単に満足するポストにありつけない。
私の周りの博士卒業(yè)者のほとんどは大學(xué)、研究機(jī)関に勤務(wù)しているが、政府機(jī)関に公務(wù)員として働いている人もいる。私の知り合いにはいないが、折り合いをつけて関係のない仕事に就く人もいる。
また最近は、中學(xué)校で教師の職につく博士卒業(yè)者もいる。その中には、北京大學(xué)や清華大學(xué)卒業(yè)の博士卒業(yè)者もいる。理由は、教師は企業(yè)で働くよりも安定しているからだという。一見(jiàn)、「人材の無(wú)駄遣い」ではないかと見(jiàn)られるが、専門(mén)的な內(nèi)容を?qū)W生用に加工して教えることができれば、より高度な教育ができると思う。
上に述べたように、折り合いをつけて違う職につく博士もいるが、そうではない人もいる。それは「萬(wàn)國(guó)共通」の課題だ。
問(wèn)題は視野の狹さ
博士が就職できない理由
どうして博士出身者でなかなか職にありつけない人が出てくるのか。
一つ目の理由は、視野の狹さだ。私もそうだったが、博士出身者は研究職を目指しているので、極端にいえば、それ以外は視野にない。博士は、特定の問(wèn)題を掘り下げて研究してきたので、自分の研究以外の分野や世の中のことについて疎くなりやすい。だから、「就職=専門(mén)性を生かせない」と捉え、大學(xué)への就職に固執(zhí)する。
大學(xué)だけでなく、政府機(jī)関、メディアでも専門(mén)性を生かすことは可能だ。今から思えば、私のプータロー狀態(tài)が長(zhǎng)引いたのも、視野の狹さに起因するところが大きかった。
二つ目の理由は、専門(mén)と仕事の一致にこだわるからだ。自分の學(xué)んだ専門(mén)に関する仕事に就きたいと思うのは人の常だ。私も日本語(yǔ)の仕事が見(jiàn)つかったとき、よく「専門(mén)を生かすことができない仕事に就いて、悔しくないですか」と聞かれた。実のところ、大學(xué)で學(xué)んだことが仕事に完全に生かされるとは限らない。例えば、大學(xué)の日本語(yǔ)學(xué)科の翻訳専門(mén)を出たからといって、翻訳の現(xiàn)場(chǎng)ですぐにバリバリ仕事できるわけではない。逆に、関係のない専門(mén)の出身者でも仕事を通じて専門(mén)性がつくこともある。そのことから、専門(mén)と仕事をどうしても一致させる必要はないと思う。
三つ目の理由は、メンツがあるからだ。自分の希望する仕事に就くのが難しいならば、「博士(はくし)」だけに自分の希望をもう一度「白紙(はくし)」に戻してハードルを下げるべきだが、博士まで勉強(qiáng)してこの程度の仕事しかつけないのかと割り切れない思いがある。また、家の期待を背負(fù)って勉強(qiáng)してきた學(xué)生にすると、學(xué)部卒でもできる仕事に就いたら、メンツが潰される。だから、頭でわかっていても、なかなかハードルを下げることができなくなる。
以上の理由は別に中國(guó)に限ったことではなく、日本にもあることだと思う。本人の考え方や姿勢(shì)の問(wèn)題ももちろんあるが、大學(xué)の教育にも問(wèn)題があると思う。後のキャリアを見(jiàn)據(jù)えた教育も必要だ。
プロ野球選手の例でいうと、選手を引退してから、監(jiān)督、コーチ、解説者になれるのはほんの一握りで、多くの選手が社會(huì)人として再スタートする。大學(xué)院も同じで、大學(xué)教員や研究員になる人はほんの一握りで、ほとんどが大學(xué)から離れる。大學(xué)院は純粋な研究者の養(yǎng)成だけでなく、職業(yè)人としてやっていくための教育ももっと必要ではないかと思う。
アイデアを生かせるチャンスが必要
前述のように、「博士後」に入って研究能力を磨きつつ、自分のアイデアを世に出していくことが卒業(yè)後の一つの選択肢だが、それにも引っかからない人もいる。それは競(jìng)爭(zhēng)の結(jié)果だから仕方ないという面もあるが、研究の過(guò)程で生まれたアイデアは「學(xué)術(shù)的財(cái)産」で、それを世に出して批評(píng)を受けることにより、よりレベルの高いものになっていく可能性もある。そのため、「在野の研究者」でも自分のアイデアを発表できる「知のインフラストラクチャー」が必要だ。
一般的な學(xué)術(shù)會(huì)議はアカデミックポストについていなければ、呼ばれもしないし、研究成果を発表することは困難だ。「在野の研究者」でも優(yōu)れた研究をする人もいる。こういう人たちが専門(mén)や立場(chǎng)に関係なく、研究成果を発表する場(chǎng)があれば、「折り合い」をつけて別の職についた人も、「別の仕事につく=研究を諦める」ととらえることもなくなる。私が見(jiàn)るところ、こういう場(chǎng)は多くない。日中の研究者?大學(xué)院生、學(xué)術(shù)に興味のある市民、「在野の研究者」の交流の場(chǎng)として活動(dòng)している「北京日本人學(xué)術(shù)交流會(huì)」(代表 山口直樹(shù)氏)は、在野の研究者にも研究発表の場(chǎng)を與える「開(kāi)かれた學(xué)術(shù)」を目指して活動(dòng)している。こうした「知のインフラストラクチャー」がもっと出てくれば、不幸にして「負(fù)け組」となってしまった博士に「敗者復(fù)活」の場(chǎng)が與えられるのではないかと思う。
■筆者プロフィール:吉田陽(yáng)介
1976年7月1日生まれ。福井県出身。2001年に福井県立大學(xué)大學(xué)院卒業(yè)後、北京に渡り、中國(guó)人民大學(xué)で中國(guó)語(yǔ)を一年學(xué)習(xí)。2002年から2006年まで同學(xué)國(guó)際関係學(xué)院博士課程で學(xué)ぶ。卒業(yè)後、日本語(yǔ)教師として北京の大學(xué)や語(yǔ)學(xué)學(xué)校で教鞭をとり、2012年から2019年まで中國(guó)共産黨の翻訳機(jī)関である中央編訳局で黨の指導(dǎo)者の著作などの翻訳に従事する。2019年9月より、フリーライターとして活動(dòng)。主に中國(guó)の政治や社會(huì)、中國(guó)人の習(xí)慣などについての評(píng)論を発表。代表作に「中國(guó)の『代行サービス』仰天事情、ゴミ分別?肥満?彼女追っかけまで代行?」、「中國(guó)でも『おひとりさま消費(fèi)』が過(guò)熱、若者が“愛(ài)”を信じなくなった理由」などがある。
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