<コラム>日中ビジネスの鍵となる習(xí)近平構(gòu)造改革(2)新常態(tài)と供給側(cè)構(gòu)造改革

松野豊    2020年11月9日(月) 15時20分

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2012年に成立した習(xí)近平政権は、2013年に「國家ガバナンス改革」を発表して中國の政治と経済の構(gòu)造改革に著手した。寫真はテンセント本社。

2012年に成立した習(xí)近平政権は、2013年に「國家ガバナンス改革」を発表して中國の政治と経済の構(gòu)造改革に著手した。前回述べたように、この政権の改革はそれまでの政権に見られたスローガンの提示だけではなく、改革が前進(jìn)するように責(zé)任者や期限を設(shè)定し、いわゆるPDCAを回すという近代的な手法を取り入れていた。

この構(gòu)造改革は順調(diào)に滑り出したかのように思われた。しかし実は、習(xí)近平政権が発足した2012年、まさにその年から中國経済の減速が始まっていたのである。筆者は、2012年の春節(jié)(2月の舊正月)に花火の売り上げが突然前年比30%も減少したというニュースを見て、何かの異変の前觸れを感じていた。まだ環(huán)境問題などで花火が規(guī)制される前のことである。

2012年には実質(zhì)成長率がそれまでの約9%から7%臺にまで低下した。これは明らかに経済成長が減速したということなのだが、當(dāng)時の報道ではそれでも7%臺の経済成長を誇る中國は、世界では成長センターだとみなされたため大きな話題にはならなかった。

しかし中國の経済統(tǒng)計(jì)データを細(xì)かくみると、2012年の「工業(yè)増加値」、「固定資産投資」、「社會消費(fèi)品小売総額」、「輸出総額」、「消費(fèi)者物価額」、「卸売物価額」及び「財政収入」のそれぞれの前年からの伸び率、また購買擔(dān)當(dāng)者指數(shù)(PMI)などの數(shù)値は、2011年以前の値より明らかに不連続的に低下していたのである。

習(xí)近平政権はこのような経済の変調(diào)に気がつき、2014年になって「中國経済は“新常態(tài)”に入った」と宣言した。中國経済は、高度成長から中速度成長に移行したが、これは経済成長國が成熟化していく過程ではある種必然であり、重要なことは當(dāng)分の間この中速度成長を安定的に継続させていくことが必要であり、政策もそれを目指すという意味であった。

しかし「新常態(tài)」は、一種の願望的政策であり構(gòu)造的な飛躍を目指すものではなかった。そういう意味で、當(dāng)時の政策ブレーンたちの説明は「中國経済は量的拡大から質(zhì)的充実に移行している」といった若干苦しげな言い訳が目立っていた。

世界の過去の例を見ても、日本、ドイツ、韓國、ブラジルなどにみられるように、高度成長からいったん中度成長に落ちると、必ずもう一段低下してゼロ成長付近を経験してきた。中速度の経済成長を長くキープするための政策手段というのは、あまりないということになる。言い方を変えれば、どの國も構(gòu)造改革等による不連続な変化を経験しなければ、経済構(gòu)造の変革は成し遂げられないという意味である。

しかし幸いにも中國は、過去の経済成長國と同じような経過を辿らなくて済んだ。成長率は7%臺から6%臺に緩やかにおちたが、それでも中速度成長をその後5~6年継続することができた。その原因は、長年の海外からの投資や不動産市場からの徴稅などでため込んだ中國政府の財政力であろう。2014年からは、主に公共インフラ投資などの増加によって國家の経済成長を支えていくことができた。

しかし投資依存の経済成長は、経済構(gòu)造の中身を劣化させることは避けられない。そこで習(xí)近平政権は、2015年に経済の潛在成長率を高めるために「供給側(cè)(サプライサイド)構(gòu)造改革」という政策を打ち出したのである。

需要をやたらに高めるのではなく、経済成長の源泉となるものを育てていくこの手法は、経済學(xué)的にみても極めてまっとうなものである。経済學(xué)の教科書によれば、潛在成長率を高める要素は3つある。資本投入、労働投入そして全要素生産性(技術(shù)イノベーション等)である。しかし投資依存を減らし、2010年代半ばに生産年齢人口が減少に転じて労働力に期待できなくなっていた中國で、唯一の方法は技術(shù)イノベーション等による新たな産業(yè)や付加価値を作り出すことであった。

そうした中に神風(fēng)のように出現(xiàn)したのが、アリババテンセントなどの民間企業(yè)が生み出した先進(jìn)ITサービス業(yè)である。彼らは政府の規(guī)制が追い付かない間に、サービスのデジタル化などによる數(shù)々の社會イノベーションを生み出し、中國に先進(jìn)産業(yè)を勃興させたのである。

ここではこの産業(yè)の発展経過は割愛するが、中國にはまさに潛在成長率を高めるための産業(yè)が生まれたのである。この「新経済」とも呼ばれる産業(yè)は、基本的にサービス業(yè)(第3次産業(yè))であるが、その仕組みがデジタル化により発展したために、中國経済には別のメリットをもたらした。それはそれまで捕捉が難しかった第3次産業(yè)の所得の捕捉率が格段に向上したことである。

平たく言えば、それまで稅徴収ができなかった末端の労働報酬等が、キャッシュレスで授受されるためきちんと捕捉、徴稅ができるようになった。中國はデジタル経済の普及とともに、経済成長に対するサービス業(yè)の貢獻(xiàn)比率がぐんと上昇したのはそのためである。

技術(shù)イノベーションというとすぐに米國との摩擦の原因になった「中國製造2025」という政策が注目されるが、実はデジタル経済下における政府の役割をインフラ構(gòu)築だと定めた「インターネット+」という政策の方が、中國の経済構(gòu)造改革上重要な政策だったと言えるのである。

こうして習(xí)近平政権の改革政策のうち、國家ガバナンス改革と供給側(cè)構(gòu)造改革は、一定の成果を生み、中國の経済成長を後押しして経済大國化の大きな原動力になった。しかし、やがて中國経済はまた大きな障害に直面することになる。それが2017年の米國トランプ政権の誕生である。次回は、米中貿(mào)易摩擦の中國経済への影響と日中ビジネスについて述べる。

■筆者プロフィール:松野豊

大阪市生まれ。京都大學(xué)大學(xué)院衛(wèi)生工學(xué)課程修了後、1981年野村総合研究所入社。環(huán)境政策研究や企業(yè)の技術(shù)戦略、経営システムのコンサルティングに従事。2002年、同社の中國上海法人を設(shè)立し、05年まで総経理(社長)。07年、北京の清華大學(xué)に同社との共同研究センターを設(shè)立して理事?副センター長。 14年間の中國駐在を終えて18年に帰國、日中産業(yè)研究院を設(shè)立し代表取締役(院長)。清華大學(xué)招請専門家、上海交通大學(xué)客員研究員を兼務(wù)。中國の改革?産業(yè)政策等の研究を行い、日中で講演活動やメディアでの記事執(zhí)筆を行っている。主な著書は、『參考と転換-中日産業(yè)政策比較研究』(清華大學(xué)出版社)、『2020年の中國』(東洋経済新報社)など。

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