木口 政樹 2017年10月23日(月) 9時20分
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私たちが結(jié)婚した1980年代の終わりの頃は、日本と韓國の間での結(jié)婚はそれほど多くはなかった。今でこそ外國人と結(jié)婚する韓國の人はそれほど珍しくはなくなったが、當(dāng)時は結(jié)構(gòu)珍しい部類に屬していた。寫真は韓國。
私たちが結(jié)婚した1980年代の終わりの頃は、日本と韓國の間での結(jié)婚はそれほど多くはなかった。今でこそ外國人と結(jié)婚する韓國の人はそれほど珍しくはなくなったが、當(dāng)時は結(jié)構(gòu)珍しい部類に屬していた。
ハン?ヨンスさんと佐藤よし子さん夫妻と知り合ったのは、慶州(キョンジュ)でのある音楽會でのことだった。慶州はわが妻の故郷。慶州市民會館で國楽(クッガク)の演奏會が催され、外國人と一緒に行くと無料で入れるというプログラムだった。
國楽というものがどんなものかは知らなかったけれど、長い橫笛の楽器がデーグムという名前であり、尺八のような魂を揺さぶるような音を出す楽器であることだけは知っていた?!弗签`グムの演奏もあるみたいよ」というかみさんの一言で一緒に出掛けてみることになったのである。
宮廷音楽のような厳かな音楽が終わり、休憩時間となった。ロビーのベンチに座っていた私ら夫婦に「コーヒー一杯、いかがですか」(コッピ?ハンジャン?オッテヨ)と言いながらコーヒーを勧めてくれる人があった。人懐っこそうな顔をしたハン?ヨンスさんである。3週間ほど前、慶州市の主催するパーティーでも顔を合わせていた。
だんだん増えつつあった外國人とのカップルを招き、韓國生活をエンジョイしてもらうためのパーティーであった。7カップルほどが來ていて、ハンさん夫妻もその中の一組だった。ハンさんは、かみさんの通っている教會と同じ教會に通い始めたところで、互いに顔はちょっと知っている間柄だった。
ハンさんの勧めるコーヒーをいただき、「カムサハムニダ」と私は言った?!疙n國語、お上手ですね」と言いながらハンさんはぶあーっと韓國語でまくし立てるのだが、私は「チャル?ハムニダ」(お上手ですね)くらいまでは聞き取れたのだけれどそれ以上は無理で、ただ笑みをたたえるしかない。
よし子さんも同じくらいの韓國語の実力のようだ。だんだんハンさんとうちのかみさんの2人の會話になっていった。話が終わる頃2人とも爆笑し、程なく休憩時間の終わりを知らせるブザーとともにわれわれもまた會場の方へ入っていった。
家に帰ってから聞いたところによると、ハンさんの家族は日本人の嫁さんが気に入らないのだった。日本の統(tǒng)治時代に、本人あるいは家族などが手痛い目に遭っているような場合は、當(dāng)然日本人に対する感情は推して知るべしである。
ハンさんの家族もそういう立場の人たちなのであろう。特にハンさんの父親が日本人の嫁さんが気に入らないらしく、日本人の嫁さんつまりよし子さんが覚えたての韓國語でいくら優(yōu)しくあいさつしても、きちんとあいさつも返してくれないほど、日本人に対する覚えは芳しくなかった。
そんなある日、一日の日課も終え、テレビも見終わってそれぞれ寢につく前の挨拶。いつも寢る前にはお互いあいさつをして寢るわけだが、その日も普段と同じようにあいさつをした。寢る前のあいさつは、「アンニョンヒ?チュムシプシオ」(おやすみなさい)であるが、この日、よし子さんはどうしたことか「アンニョンヒ?チュグシプシオ」と言ってしまったのである。
「アンニョンヒ」は「安寧に」とか「安楽に」とか「健康に」といった意味である。本來言うべき「チュムシプシオ」は、「おやすみなさい」の意味であり、従って「アンニョンヒ?チュムシプシオ」は直訳すると「安寧におやすみください」となる。
ところでこの日よし子さんが言った「チュグシプシオ」は、なにあろう「死んでください」という意味。そんなばかな。これほど自分を嫌っている人(しかも夫の父親)に向かって「死んでください」だと!物事は、一線を越えてしまうととんでもないことになってしまうことももちろんあるけれど、笑いを伴うものとなることもままある。この時のよし子さんのせりふ「死んでください」はまさに後者の例?!弗隶濂啷伐抓伐工取弗隶濂哎伐抓伐埂H毡救摔扦猊骏时碛洡蛞姢皮工斑`いの分かる人は少ないかもしれない。それくらい二つは似ている?!弗唷工取弗啊工坤堡芜`いだ。しかも単語の中間ほどに位置しているから、違いがそれほどクローズアップされない。
韓國語を覚えたてのよし子さんにとっては、間違いにすぐ気が付かないほどの微妙な差だ。しかし意味は天と地ほどの差。あまりにもあきれ果て、二の句が継げずにいる義理の父。きょとんとしているよし子さん。次の瞬間、この義理の父がこらえきれずに大きな笑いをぶちかまして、その場は丸く収まり、あれだけ嫌いであいさつの受け答えもまともにやらなかった人が、この日を境にすっかり打ち解けてしまったということであった。
「死んでください」というとんでもない言葉が、逆に貴重な潤滑剤になったという信じ難い話であった。信じ難い実話なのである。人間喜劇、確かにそんなこともあるかもしれないなと納得し、それにしても「死んでください」はすごいことだ。陰ながらではあるが、よし子さんに盛大な拍手を送ったことは言うまでもない。あのお父さんも今は旅立ってしまったけれど、ハンさんご夫妻、現(xiàn)在も仲むつまじく暮らしているようである。
■筆者プロフィール:木口政樹
イザベラ?バードが理想郷と呼んだ山形県米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結(jié)婚。三星(サムスン)人力開発院日本語科教授を経て白石大學(xué)校教授(2002年?現(xiàn)在)。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。
■筆者プロフィール:木口 政樹
イザベラ?バードが理想郷と呼んだ山形県?米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結(jié)婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大學(xué)校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓國』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。 著書はこちら(amazon)Twitterはこちら※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。
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