日本人に対する印象が大きく変わった2つの出來事―中國(guó)人男性

Record China    2017年10月27日(金) 9時(shí)50分

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22日、中國(guó)の日本旅行情報(bào)サイトに、日本に1984?2004年まで滯在した中國(guó)人男性が自身の體験を紹介する文章が掲載された。資料寫真。

2017年10月22日、中國(guó)の日本旅行情報(bào)サイトに、日本に1984?2004年まで滯在した中國(guó)人男性が自身の體験を紹介する文章が掲載された。以下はその概要。

私のような60年代生まれは、70、80年代にかけて抗日教育を受けてきたため、日本に行く前に抱いていた日本や日本人に対する印象は基本的にマイナスだった。しかし、日本に到著した際に空港に迎えに來てくれた準(zhǔn)教授が非常に親身になって接してくれたため、日本人もそれほど怖くはないと感じた。

その準(zhǔn)教授は後に教授となり、私を指導(dǎo)する立場(chǎng)になった。研究が終わると、たびたび自宅に招いてくれ、食事をごちそうしてくれた。特に気を遣うことはなく、本當(dāng)の家族のように接してくれた。7年間を共に過ごしたその教授からは、學(xué)問だけではなく、まじめさ、勤勉さ、徹底的に物事を突き詰める精神や、寛容さ、ポジティブさなど心の持ち方についても多くを?qū)Wんだ。日本滯在の18年間で數(shù)百人の日本人と接してきて感じたことは、「中國(guó)人と日本人は、本質(zhì)的には何の違いもない」ということだった。

私は1986年3月に同級(jí)生と2人で、自転車で九州を1周する旅に出た。國(guó)道に沿って70?80キロほど進(jìn)んだ時(shí)、同級(jí)生の自転車のタイヤがパンクした。修理用の工具を持っていたが、雨が降っていたこともあり、自分たちでは修理できず。仕方なく自転車を押して先へ進(jìn)んだ。

ほどなくして、道の脇に小さな店があるのを見つけた。店主にどこかで自転車を修理できるところはないかと尋ねると、「街まで行かないとない。車で20分はかかる」と言われた。店主は自分の軽トラックで送ってくれると言った。同級(jí)生と自転車を乗せたトラックが出発。私が店で待っている間、店主の奧さんが熱いお茶とお菓子でもてなしてくれた。修理が終わって戻ってきた同級(jí)生と共にその場(chǎng)を後にした。しかし、彼らは私たちから一切お金を受け取らなかった。私たちは感動(dòng)した。

同じ日のことだ。フェリーに乗り込む時(shí)に雨でスリップして壁にぶつかり、今度は私の自転車の前輪が変形して走れなくなってしまった。対岸に著いた後、歩いていると、中年男性が「どうしたのか」「どこへ行くのか」と話しかけてきた。事情を説明すると、案內(nèi)してくれると言って自転車を持つのを手伝い、予約していた旅館まで送ってくれた。到著した後、彼は自転車屋さんに電話をかけ、修理を依頼してくれた。翌日は休業(yè)日だったが、「何とか頼む」と言ってその日の夜中に修理してもらうことになった。電話を切ると、彼は私の自転車を押して自転車屋さんへと向かった。翌日、旅館のオーナーと自転車を取りに行くと、新品のようにきれいに直っていた。

この2つの出來事を通じて、私の日本人に対する印象は大きく変わった。日本人はケチだとか、冷たいだとか言う人もいるが、私は同意しない。見ず知らずの人にこれほど親切に接してくれる人は、中國(guó)にもどれだけいるだろうか。30年前、日中の違いは天と地ほどもあったが、そんな時(shí)代でさえ、普通の日本人は私たちを冷たくあしらうことはなかった。國(guó)を代表する政治家がけんかをするのは構(gòu)わないが、庶民である我々はどこの國(guó)の人であろうと友好的に接するべきなのだ。(翻訳?編集/北田

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