清王朝の末期になぜ多くの中國人が日本へ留學(xué)したのか?―中國メディア

Record China    2017年10月29日(日) 16時10分

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27日、中國メディアの北京晩報が、清王朝末期に多くの中國人が日本へ留學(xué)した理由について分析する記事を掲載した。資料寫真。

2017年10月27日、中國メディアの北京晩報が、清王朝末期に多くの中國人が日本へ留學(xué)した理由について分析する記事を掲載した。

今の中國は留學(xué)ブームであり、中には中學(xué)校から海外で教育を受ける人もいるが、100年以上前の清王朝末期にも留學(xué)ブームが起きていたと記事は紹介。しかし、今と違って多くの若者は留學(xué)先として日本を選んだという。

その理由について記事は、日本が明治維新後にいかにして急激に強大になったのかを知りたいという理由のほか、費用面での安さが大きな魅力だったと分析した。

日清戦爭後、張之洞などの封疆大臣らは、中國の知識層が日本へ留學(xué)することを奨勵。その後の6?7年の間に非常に多くの若者が上海天津の港から船で日本へ渡った。そんな中、官僚の端方は西洋への留學(xué)を主張。日本も西洋から多くを?qū)Wんだのであり、ならば西洋へ行って直接學(xué)ぶべきだとして、言語能力のある若者を西洋へ留學(xué)させたという。

しかし、西洋留學(xué)は多額の費用がかかることが問題だったと記事は指摘。清政府は國費留學(xué)生に1人當(dāng)たり年間1200銀両を支給したが、これは現(xiàn)在の価値で36萬元(約612萬円)に相當(dāng)するため、1903年と04年の2年間に西洋へ國費留學(xué)した中國人は、米國11人、ドイツ24人、ロシア4人、フランス11人、ベルギー48人だけだった。

一方、日本は距離的な近さから船賃が安く、日清戦爭後は日本へ行くのにビザが不要で渡航が容易だったため、多くの中國人が留學(xué)先として日本を選んだという。

また、留學(xué)費用も歐米と比べると安く、例えば早稲田大學(xué)の1年間の學(xué)費は17銀両で、歐米の20銀両より安かった。そのため、特に私費留學(xué)者は日本を選ぶ人が多かったという。さらに、日本留學(xué)経験者が本國に戻って冷遇されることなく、積極的に登用されたことも大きな理由の1つだったと論じた。(翻訳?編集/山中)

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