<四川大地震>山中から救出の男性2人、奇跡の20日間を語る―四川省

Record China    2008年6月3日(火) 13時50分

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2日、綿竹市の山中で1日、震災(zāi)から20日ぶりに救出された炭鉱労働者2人が、取り殘されていた當(dāng)時の様子を語った。寫真は救出當(dāng)時。赤いヘルメットの2人が劉さんと米さん。

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2008年6月2日、綿竹市の山中で1日、震災(zāi)から20日ぶりに救出された炭鉱労働者2人が、取り殘されていた當(dāng)時の様子を語った?,F(xiàn)在は、四川大學(xué)華西醫(yī)院に入院中だが、命に別狀はないという。新華社通信(電子版)が伝えた。

その他の寫真

2人は、劉洪坤(リウ?ホンクン)さん(45歳)と米成福(ミー?チョンフー)さん(51歳)。震災(zāi)當(dāng)時は炭鉱仲間と山中の小屋にいた。地震後、仲間はどんどん脫出していったが、2人はケガで動けない。救出までの20日間は、殘された食糧を食いつないで生き延びた?!赶趣讼律饯筏恐匍gが、食糧を置いていってくれた」と劉さんは語る。劉さんは骨折した左足を自分でかばいながら、重傷の米さんの面倒を見た。

米さんは、左肩甲骨と左の肋骨4本、右の肋骨1本が折れ、胸腔に血が溜まっていた。「その狀態(tài)で急に水を飲んだら死ぬから」と、劉さんは米さんの唇に水を含ませ自分で舐めるよう言ったという。2人は仲間の殘した牛乳やビスケット、インスタントラーメンを少しずつ食べた。底をつきかけた12日目には、がれきの下から米の入った袋を見つけ出し、それを炊いて食べた。

救助に當(dāng)たったパラシュート部隊の兵士は、2人が「生活」していた現(xiàn)場を見て、その「たくましい生命力」に感嘆した。そこからは?絶対に生きて助かる?という2人の気迫が伝わってきたという。(翻訳?編集/NN)

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