<コラム>李香蘭、蘇州夜曲のロケ地探訪

工藤 和直    2017年11月11日(土) 0時(shí)0分

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李香蘭こと山口淑子が2014年に逝去して3年になる。李香蘭が長(zhǎng)谷川一夫と映畫「支那の夜」で共演して、名曲「蘇州夜曲」を世に知らしめた場(chǎng)所が蘇州駅から西方向3キロメートルにあたる「虎丘」で、ここがロケ地となった。寫真は筆者提供。

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李香蘭こと山口淑子(1920年2月12日?2014年9月7日)が2014年に逝去して3年になる。94歳であった。中國(guó)政府は異例の公表をしたが、ちょうど尖閣問題で日中関係が何かとギクシャクした時(shí)期であり、短い文書であった。日本人である李香蘭が、長(zhǎng)谷川一夫と映畫「支那の夜」で共演して、名曲「蘇州夜曲」を世に知らしめた場(chǎng)所が蘇州駅から西方向3キロメートルにあたる「虎丘」で、ここがロケ地となった。これにより、日本人が多く知る「水の蘇州」のイメージが出來(lái)上がったのだ。

その他の寫真

「支那の夜」は昭和15年(1940年)に上映され、李香蘭20歳の時(shí)であった。この映畫のラストシーンである小橋(寫真1)の上で再會(huì)して抱擁する二人、その右奧に宋代961年に建立された虎丘雲(yún)巖寺塔(寫真2)が見えるこの小橋がどこなのか、筆者にとって最大の関心事であり、この小橋を探索した旅でもあった。

映畫のシーンに沿って、二人の蘇州での行程をたどってみた。まずは馬車で虎丘に向かうが、途中に白壁の道を通る。留園か西園の壁かもしれない。川縁にやってきた2人、長(zhǎng)谷川一夫がタバコをとりだし、李香蘭が火を付ける。その右に橋が見える。失意に落ちた李香蘭がラスト近くにも訪れる所でもある。ここは、単純には虎丘に入る橋と思われる?,F(xiàn)在もある入口前のアーチ橋は最近作られたようで、當(dāng)時(shí)からあった橋ではない。ただ西園の近くにある上津橋は當(dāng)時(shí)からもある橋だ。

虎丘山門入口に二人は向かうが、土産売りの子どもたちに囲まれる。この辺りが、現(xiàn)在は入園券切符売り場(chǎng)辺り、今は両サイドに建物が繋がり、木々で囲まれた街路であったとは想像も付かない。當(dāng)時(shí)の寫真2からみると山門以外は何もないのだ。

虎丘の中、李香蘭が神様に「この幸福がいつまでも続くように」とお祈りする。二人が立ち止った場(chǎng)所、背景に見える尖った屋根の四阿(あずまや)や祠(ほこら)が見える。李香蘭がつぶやく「この幸せは夢(mèng)でなくて欲しい」、寒山寺の鐘が大きく聞こえるが、3キロメートルも離れて聞こえるはずがない。次は二人が「記念寫真撮影」をした虎丘剣池のアーチの上での場(chǎng)面、ここは現(xiàn)在もそのままだ。

ここから、蘇州夜曲の一番が流れ、李香蘭が歌う?!袱?み?が?みむね?に?」と歌が始まり、雰囲気をもりあげる。二重の屋根で六角形の窓という特徴的な場(chǎng)所、ここは南に2キロメートル離れた西園戒幢律寺「湖心亭:寫真3」である。次に坂を下りながら三番の歌が流れる。長(zhǎng)谷川一夫は桃の花を亂暴に手折り、李香蘭に渡し供に歩く。「か?み?にかざろうか…き?み?が?たおり?し桃の花…」。散策していた2人が足を止めて眺める七重の塔、最後に「鐘?が鳴ります寒山寺?」と歌うが、そこに寫る七重の塔は寒山寺でなく、何故か蘇州駅近くの報(bào)恩寺塔(北寺塔: 寫真4)である。

西條八十の作詞の「蘇州夜曲」の一番?三番を李香蘭が歌うが、その中に「すすり泣く柳と涙ぐむおぼろ月」と擬人化された脇役が存在するのも興味深い。坂を下り湖畔(右が池で、左が林の丘)を散策する場(chǎng)面があるが、平地の多い蘇州のどこになるのかと虎丘周辺以外に定園や南の何山園あたりを探索したが、同じ地形はなく、日本が撮影場(chǎng)所だったと思われる。

穏やかな日差しの中、長(zhǎng)谷川一夫が寢そべり、小ぶりのアーチ橋が架かった向こう岸で李香蘭が花を摘んでいる。ラストでも登場(chǎng)するこの小橋、背景に上述の虎丘塔が見え、虎丘の周囲を巡る水路上で、虎丘塔の東南方向に當(dāng)たる場(chǎng)所は、虎丘観光地內(nèi)の「塔影橋:寫真5」しか考えられない。疑問が殘るのは、長(zhǎng)谷川一夫が寢そべった対岸に石の牌門が二つ見えることである。対岸には現(xiàn)在そのような痕跡は見られず、現(xiàn)在石牌が有るのはやや南方向になるが、上塘河に沿った五人墓(三山村)辺りであるが、やや距離がある。寫真6は、ロケ地と思われる虎丘公園の當(dāng)時(shí)と現(xiàn)在の寫真を並べたものだ。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、蘇州市ある日系2500社、約1萬(wàn)人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國(guó)関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國(guó)関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國(guó)や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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