日本アニメの素晴らしさ、それは「生きていく勇気を與えてくれる」こと―中國(guó)人學(xué)生

日本僑報(bào)社    2017年11月26日(日) 13時(shí)0分

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中國(guó)で日本のアニメや漫畫が若者を中心に広く受け入れられていることは知られているが、日本のアニメのどのようなところが中國(guó)人の心を打つのだろうか。寫真は映畫ドラえもんのポスター。

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中國(guó)で日本のアニメ漫畫が若者を中心に広く受け入れられていることは知られているが、日本のアニメのどのようなところが中國(guó)人の心を打つのだろうか。中國(guó)の國(guó)産アニメとの違いはどこにあるのか。上海外國(guó)語(yǔ)大學(xué)人文経済賢達(dá)學(xué)院の陳霄迪さんは、自身の體験を基に作文に次のようにつづっている。

その他の寫真

「なぜ中國(guó)の若者が日本のACG(アニメ?コミック?ゲーム)に魅かれるか」というと、多分それは私たちの少年時(shí)代がACGからなっているものだからだろう。しかし、今中國(guó)のテレビ番組には日本のアニメがあまり出てこない。流れているのは皆中國(guó)製のアニメばかりだ。私はちょっと見(jiàn)ていたが、「何だ、こりゃ。內(nèi)容も聲優(yōu)もキャラクターも皆ばかばかしい。みっともなく恥ずかしい」とつい嘆きが出た。にもかかわらず、無(wú)邪気な子供はそれしか見(jiàn)られないので、テレビの前に釘付けになって楽しんでいる。あまりにもかわいそうだと思う。それに対して、自分の少年時(shí)代の思い出が一層キラキラしていると感じてきた。

振り返ると、ぼんやりした記憶が生き生きと蘇ってきた。四角い枠の中に描かれたキャラクターが飛び出してきて、私の周りを取り巻いて、泣いたり笑ったり、喧嘩したり仲直りしたりして騒いでいる。友達(dá)と久しぶりに再會(huì)したように懐かしくてたまらなくなった。

ぱっと、突然、勝手に開(kāi)いた引き出しの中に、ニコニコしながら「こんばんは」とあいさつしたドラえもんがぎごちなくタイムマシーンから降りた。私は呆気にとられて、目を見(jiàn)張ることしかできなかった。

「もうこんなに大きくなったか、のび太くん」

「…?!」。私は今のび太になってしまったか。

「しっかりした大人になっているかな」。皮肉半分の口調(diào)で。

「えっと、時(shí)々寢すぎたり、犬にわけも分からなく追われたり、うっかりして溝に落ちたり、ジャイアンに毆られて、母さんに叱られたりすることがまだあるんだよ」。バカみたいに笑い出した。しかし、目じりに涙がなぜ滲んできたかは分からなかった。

「ダメだよ、まったく。しっかりしろよ。ね、のび太くん、ちゃんと約束したじゃない?必ず立派な人間になって見(jiàn)せるって」相変わらず、ふくれっ面をして、説教するやつだ。

「分かったよ、もう。冗談だよ。今はちゃんと勉強(qiáng)している。ちゃんと夢(mèng)を抱いて、精一杯頑張っているんだよ」本當(dāng)ののび太くんもきっとそうだろう。

「ならよかった」。すぐ満足げに大きな笑顔を見(jiàn)せてくれた。

「ね、大好きなドラ焼きを買いに行かない?」

「本當(dāng)?!でも、もう帰らなきゃ。ただ君をちょっと見(jiàn)に來(lái)たので」。返事を待たず、踵を返してタイムマシーンに戻っていった?!冈?dú)荬扦?!」?/p>

「うん、ドラえもんも!いつも元?dú)荬扦?!」。もし、この時(shí)、私はいつものように駄々をこねれば…

「じゃね」。見(jiàn)る見(jiàn)る彼の姿が消えていった。

私は立ちすくんで、彼を見(jiàn)送った?!袱猡σ欢趣饯肖摔い皮臁工趣いρ匀~が喉の奧にとどまった。いつまでも子供でいてはいけないと思うから。もう、一人前の男になったから、心配しないで未來(lái)に帰ってもいいよ。思わず、涙がぽろぽろこぼれてきた。かつて、そばにいてくれてありがとう。そばにいて、そんなに長(zhǎng)い年月を一緒に過(guò)ごしてよかった。また來(lái)るよねと思い込んで。部屋はもう靜まり返ってしまった。

目覚めるともう朝になっていた。時(shí)計(jì)は8時(shí)15分を回っている。やべ、また遅刻かとあきらめたように機(jī)のほうに目をやった。差し込んできた日光を浴びている機(jī)は何の異様もない。引き出しもちゃんと閉まっている。私は起き、バスルームに入り、鏡を見(jiàn)ながら歯を磨いている。鏡の中の自分の顔に涙の痕を見(jiàn)て、思わず微笑んだ。

少年時(shí)代に何度も何度も憧れていた夢(mèng)は今でも時(shí)々見(jiàn)る。日本の漫畫は、ただ物語(yǔ)というだけではなく、精神的な支えでもあると思う。人生でどんな難局にぶつかっても、前向きに生きていく勇気を與えてくれる。どんなに孤獨(dú)な時(shí)でも、そばにいて付き合ってくれる。これは日本の漫畫ならではの力だと思う。たぶん、日本の漫畫に魅かれる理由はそこにあるのだろう。(編集/北田

※本文は、第十回中國(guó)人の日本語(yǔ)作文コンクール受賞作品集「『御宅』と呼ばれても」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2014年)より、陳霄迪さん(上海外國(guó)語(yǔ)大學(xué)人文経済賢達(dá)學(xué)院)の作品「まだ踴っている夢(mèng)」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

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