武 小燕 2018年10月17日(水) 14時40分
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先日、久しぶりに會った友人と一緒に食事し、お互いの子育てや日常生活を語り合いました。寫真は公園。
先日、久しぶりに會った友人と一緒に食事し、お互いの子育てや日常生活を語り合いました。この友人は障害の子どもを持っています。これまでは障害児を?qū)澫螭趣筏渴┰O(shè)に通っていましたが、來年の小學(xué)校進學(xué)に合わせどんな學(xué)校に入るか夫婦で調(diào)べたそうです。その子は重複障害を持っているため、子どもにも実際に通わせてみながら、最終的に家から車で約20分の盲學(xué)校に入ることになりました。
食事の席で、彼女は突然「子育てのことはどうして母親ばかりに押し付けるのだろうか」と少し憤慨した様子で話し出しました。彼女の夫は子育てに非常に熱心な方なので、私は少し驚きましたが、実は彼女のママ友の話でした。そのママ友の子どもは醫(yī)療的ケア児で、なかなか受け入れてくれる學(xué)校がないそうです。
醫(yī)療的ケア児とは、嚥下(えんか)機能の障害で鼻からチューブを通して胃に栄養(yǎng)剤などを直接入れる処置や、自発呼吸ができないことで人工呼吸器をつけて喉から直接通気を確保する処置を受けている子どもたちのことを指します。醫(yī)學(xué)の発達によって救われた子どもが増えている中で、醫(yī)療的デバイスを常につけていなければならない子どもたちも増えています。
日本の障害基準は身體能力と知的能力によって分けられているため、知的な遅れも身體的な不自由もない醫(yī)療的ケア児であれば、障害児ではないことで特別支援學(xué)校に入るわけにはいきません。一方、日常生活で常に醫(yī)療的デバイスをつけておかなければならないことと、必要に応じて痰吸引などの処置が常に必要とのことで、通常の學(xué)校もなかなか受け入れにくいのが現(xiàn)狀です。そのママ友は子どもの就學(xué)に當たり、學(xué)校から求められたのは母親の就學(xué)同伴でした。これに私の友人が怒ったわけです。
救えなかった子どもが醫(yī)學(xué)の発展で救われるようになったことは喜ぶことですが、醫(yī)療的ケア児の親にとって手放しで喜ぶことができません。幸いに救われて知能的にも身體的にも元気ですが、親の同伴がないと學(xué)校を通えないのは悲しいことです。とりわけ義務(wù)教育の段階には行政は環(huán)境を整備して子どもの教育権を保障する責務(wù)があるのに、それを放棄して保護者に押し付けてよいはずがありません。友人は靜岡出身でとても穏やかな性格です。彼女に會うたびに、私は旅先で見た靜岡の茶畑を思い出します。溫かい日差しと山腰に広がる緑の波のような茶畑は、どこかのびのびとした気持ち良さを感じさせます。そんな彼女が怒っている姿は初めて見ました。
おそらく、彼女の怒りはこの件だけではなく、社會のいろいろなところに潛んでいる母親への子育ての強要に対するものだと感じました。母親による子育ては當たり前のことですが、母親のみが子育てをすべきかというとちょっと違います。しかし、普段の生活にしても、看病にしても、學(xué)校などとのかかわりにしても、子どもに関することの多くはどこか母親の役割だと考えている人が少なくありません。その母親はたとえ父親と同じようにフルタイムに働いているとしても、母親だけが専業(yè)主婦のように子育てにかかわることが求められます。児童虐待のニュースが出ると、父親が主犯人であっても、母親の寫真が大きく取り上げられます。
母親の子育ての責任を主張する人はこれが日本の伝統(tǒng)だというかもしれません。しかし、江戸期は武士層を中心にむしろ父親が子どもを育てた時代でした。母親の役割は夫に仕え、舅姑に従順に孝行を盡くし、子育てでは夫や舅の意志に従って養(yǎng)育するものでした。百姓のなかでは、子どもは村落共同體の一員として村社會に育てられるものでした。母親の子育ての役割は、明治以降の良妻賢母主義の女子教育と戦後の「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業(yè)を通して徐々に強化されてきました。舊文部省の社會教育局が1968年に出版した「家庭の生活設(shè)計」では女性の役割について主婦、妻、母親、労働者、市民の順と求めています。家庭や子育てについて母親が主な役割を果たすべきという認識は、生まれつきのものではなく、長い年月をかけて社會的に作られたものであり、ジェンダーの一部です。
醫(yī)療的ケア児の就學(xué)に対する母親同伴の要求はこうした認識から安易に発したものだろうと考えざるを得ません。実態(tài)としても、醫(yī)療的ケア児の主介護者は98%が母親であり、そのなかの超重癥児の主介護者は100%が母親であるという調(diào)査結(jié)果があります(高橋昭彥『地域の現(xiàn)狀からみた小児在宅醫(yī)療の目指すところ』2016年3月より)。
中國では女性の代名詞として「半辺天」という言葉があります。それは空の半分という意味で、女性は男性と同じように社會の半分を支え、家庭でも職場でも活躍してよい存在です。かつて、儒教の影響で女性は男性に対して日本以上に従屬的な地位にあり、社會に出ることが認められなかったが、1950年代の女性解放運動によって女性の社會的な地位が大いに高まりました。それと同時に、男性も家事をしたり子育てを支えたりすることが當たり前のことになっています。
中國の家庭では、父親は料理を作ったり子どもの面倒を見たり、學(xué)校の保護者會に參加したりすることはごく當たり前のことです。日本では近年、男女共同參畫社會を進め、男性の育児參加が大いに増えています。16年前に日本に來た時には、町や公園で子どもを抱っこする男性の姿をほとんど見ませんでしたが、今はしばしば見かけるようになりました。イクメンも肯定的な言葉として定著しつつあります。
それはとても望ましい変化であり、改善されたのは単なる夫としての家事協(xié)力や父親としての育児參加という家族內(nèi)の関係に留まらないことを期待します。児童憲章で提唱されたように、「児童は、社會の一員として重んぜられる」。子どもは社會の一員です。特別支援學(xué)校にも通常學(xué)校にも通えない醫(yī)療的ケア児の教育権を保障するには、考えられる提案は決して母親の就學(xué)同伴だけではないでしょう。
■筆者プロフィール:武 小燕
中國出身、愛知県在住。中國の大學(xué)で日本語を?qū)Wんだ後、日系企業(yè)に入社。2002年に日本留學(xué)し、2011年に名古屋大學(xué)で博士號(教育學(xué))を取得。単著『改革開放後中國の愛國主義教育:社會の近代化と徳育の機能をめぐって』、共著『変容する中華世界の教育とアイデンティテ?!?、『歴史教育の比較史』、研究報告書『多文化世帯に生きる子どもたちの言語習(xí)得に関する実証研究:愛知県における中國系世帯とブラジル系世帯の比較を通して』などがある?,F(xiàn)在名古屋付近の大學(xué)で研究と教育に取り組んでいる。一児の母として多文化教育を?qū)g踐中。教育、子育て、社會文化について幅広く関心をもっている。
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