木口 政樹 2017年12月8日(金) 19時(shí)40分
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今回JSAから南に亡命してきた北の兵士オ?チョンソン氏も、イ?グクジョン教授には心を開いているようだ。この回復(fù)自體、奇跡的と言ってよいのである。資料寫真。
韓國(guó)でこの頃よく聞くJSAとは、Joint Security Areaの略で共同警備區(qū)域と訳されている。普通は板門店(パンムンジョム)という名で知られている。旅行がお好きな方などは、この板門店の休戦協(xié)定會(huì)談所に一度は入ったことがあることだろう。
北の兵士が窓の外からじーっとこちら側(cè)をのぞき込んでいたりする。なるべく目を合わせないようにという米軍の事前のレクチャーがあるが、それでも目が合ったりすると、旅行者は緊張で縮み上がってしまう。そういう緊張の走る場(chǎng)所がJSAである。建物の中心線を38度線が通っている。腳でまたげばこっちは南、そっちは北の領(lǐng)土だ。
2017年11月13日午後3時(shí)ごろのこと。1臺(tái)のジープが北の方から疾走してくる。JSAから1キロほど離れた所にある北の検問所も無事通過し、猛スピードで南側(cè)目掛けて走ってくる。時(shí)速100キロ近くあったようだ。全世界を驚きに包んだ自由への疾走の一場(chǎng)面だ。
腳でも踏み越えられる38度線を、車に乗ったまま南側(cè)に來るつもりだったのだが、運(yùn)悪く側(cè)溝のような部分にタイヤがはまってしまい、にっちもさっちもいかない狀態(tài)に陥ってしまう。北の見張りの兵士ら數(shù)人が武裝して車に近づいてくる。中に乗っていた北の兵士(オ?チョンソン氏、25歳)は即座に車を捨て南の方に駆け出す。
約5メートルの至近距離から北の兵士らの銃撃を食らい、體に弾が入った狀態(tài)でも懸命に走り南側(cè)に越境した。追ってきた北の武裝兵士の1人は、38度線を越えて南の方に足を踏み入れる。おっと、こりゃいかんな、と自分で気付いてまた北の方へ引き返す。あのまま脫北兵を追って銃撃を加えていれば、オ?チョンソン氏はこの世にはいなかっただろう。
仕切り壁のような、それほど高くもない塀のようなもののすぐ下に、オ氏は倒れたままだった。それから數(shù)十分した頃、倒れている北の兵士を南の兵士2人が手で引っ張り、1人が後方から援護(hù)射撃できる體勢(shì)で見守っているという監(jiān)視カメラの映像がある。あれは、いつでも北からの射撃があるかもしれない、そういう緊迫した狀況での救出劇だったのだ。映畫ではなく現(xiàn)実。ここがすごいところだ。
ただ手で引っ張ってこちら側(cè)に運(yùn)んだのではないのである。「私にやらせてください」と言って、自分から志願(yuàn)しての行動(dòng)だというからこれまたすごい。上官からの命令ではないのだ。こういうのを見ると、韓國(guó)、まだまだ生きてるねえと思えてくる。
救出された兵士オ氏はほとんど「死んだ」?fàn)顟B(tài)だったようだ。それをオペしたのが醫(yī)者イ?グクジョン教授。亜州(アジュ)大學(xué)病院の外科醫(yī)だ。まるでブラックジャックのように、必要とあらばどこにでも行って瀕死の患者を救う。経費(fèi)は自腹で払うこともあるというからすごい。おかげで今まで8億ウォン(約8000萬円)くらいの借金があるんだとか。
2011年に、ソマリアの海賊に商船が拉致されたアデン灣事件というのがあった。犯人たちとの銃撃戦で商船のソク船長(zhǎng)は瀕死の狀態(tài)にあった。彼を救ったのもこのイ教授。アデン灣まで飛んでの治療だったようだ。外傷外科という専攻があるらしく、イ教授はこの科の韓國(guó)における第一人者だ?!弗穿`ルデンタイム」という韓國(guó)MBCドラマのモデルでもある。本人はそのドラマは見たことはないというが、救急醫(yī)療の実態(tài)が少しでも世の人に知られるようになることに対しては好感を抱いているようだ。人を生かすことだけを考えているような醫(yī)者である。
詳しくは調(diào)べていないが、イ教授は決して裕福ではない家庭で育ったらしい??鄬W(xué)の末に醫(yī)學(xué)部に入り醫(yī)者となったようだ。韓國(guó)はいろいろの不正がある國(guó)だけれど、こと大學(xué)入學(xué)、特に醫(yī)學(xué)部入試に関しては不正がないと言っていい。
なぜ醫(yī)學(xué)部入試に不正がないと分かるのか。私の親戚?知人の醫(yī)者の息子?娘らが、親の希望する醫(yī)學(xué)部への道を諦め他の學(xué)部に行っているのをあまた見てきている故だ。開業(yè)醫(yī)であったり大學(xué)醫(yī)學(xué)部の教授であったりするのだけれど、子どもの學(xué)力が醫(yī)學(xué)部に屆かない場(chǎng)合はあっさり醫(yī)學(xué)部への道は放棄している。
お金もあるのだし大學(xué)の中にも融通の利く人間の一人や二人はいるわけだから、なんとかならないものか。他の學(xué)部はそんなこともあり得るけれど(いや、ないかもしれないけれど)、醫(yī)學(xué)部は絶対にそれはできないと親戚の醫(yī)者が言っていた。韓國(guó)でもケンチャナヨ(なんでもOK)でない世界、駄目は駄目というけじめのある世界は結(jié)構(gòu)あるのである。
全國(guó)の國(guó)立はもちろん私立大學(xué)でも、醫(yī)學(xué)部はどこも例外なくレベルは最高に高い。偏差値というシステムはこちら韓國(guó)ではとっていないが、偏差値でいったら田舎の大學(xué)の醫(yī)學(xué)部でも70以上はあるはずだ。イ教授は、厳しい家庭環(huán)境の中にあってもそういう難関を通って醫(yī)者となった人である。
底辺を知っているだけに、日の當(dāng)たらない人たちへの愛情には筋金が入っているのかもしれない。ソク船長(zhǎng)の時(shí)も、手術(shù)の途中での醫(yī)者たちの會(huì)話が船長(zhǎng)の耳に聞こえてきて、回復(fù)しても一生體に障害を持って生きなければならないというような內(nèi)容だった。ために入院しながらも自殺を何度も考えるほどだったのだが、イ教授の何気ない心溫まる雑談のおかげで、船長(zhǎng)はまた生きる意欲と自信が湧いてきたという。
今回JSAから南に亡命してきた北の兵士オ氏もイ教授には心を開いており、チョコパイが食べたいとかテレビのバラエティー番組が見たいなどと語るほどに回復(fù)しているもようだ。この回復(fù)自體、奇跡的と言ってよいのである。
「醫(yī)は仁術(shù)なり」をさりげなく実踐しているイ教授だからこそ、こんな奇跡も起こすことができるのであろう。人間の生きざまに國(guó)籍などというちっぽけなレッテルは関係ないということを、つくづくと思い知らされた出來事であった。さんずの川を越えそうになった北の兵士に代わり、ありがとうとお禮の言葉を述べたい気持ちでいっぱいだ。
■筆者プロフィール:木口政樹
イザベラ?バードが理想郷と呼んだ山形県米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結(jié)婚。三星(サムスン)人力開発院日本語科教授を経て白石大學(xué)校教授(2002年?現(xiàn)在)。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。
■筆者プロフィール:木口 政樹
イザベラ?バードが理想郷と呼んだ山形県?米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結(jié)婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大學(xué)校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓國(guó)』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。 著書はこちら(amazon)Twitterはこちら※フォローの際はメッセージ付きでお願(yuàn)いいたします。
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