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14日、中國(guó)のポータルサイト?今日頭條に、「私は中國(guó)の女性、日本で1年間公務(wù)員をしました」とする文章が掲載された。寫(xiě)真は神戸の中華街。
2017年12月14日、中國(guó)のポータルサイト?今日頭條に、「私は中國(guó)の女性、日本で1年間公務(wù)員をしました」とする文章が掲載された。以下はその概要。
私は日本で2016年4月から17年4月まで、1年間公務(wù)員として働いた。といっても、日本國(guó)籍もなければ日本の公務(wù)員試験も受けていないので、厳密に言えば公務(wù)員ではない。兵庫(kù)県庁の國(guó)際交流課に入り、日本の役所での仕事を體験したのだ。
國(guó)際交流課は経済交流課と仕切り一つ隔てて同じ部屋に入っており、約30人いるスタッフが全員そろったら酸欠になりそうなほどの狹さ。しかも、古いエアコンが非力で夏は暑い。部屋の通り道は1本しかなく、日常的に「衝突事故」が起きていた。オフィスが狹ければ、給湯室も狹い。茶器やポットが置かれている機(jī)や棚は、まるで骨董品のように年季が入っていた。
日本人は「県庁で働いている」と知ると、大したものだと感嘆する。彼らにとって公務(wù)員は、安定した収入と福利が得られる「大したもの」なのだ。また、日本の公務(wù)員は中國(guó)とは異なり、2、3年ごとに異動(dòng)がある。私が入ったのと同じタイミングで異動(dòng)して來(lái)た人が、國(guó)際交流課にも半分くらいいた。
確かに安定はしているが、公務(wù)員は市民に奉仕するだけでなく、市民の模範(fàn)にならなければならない。通常、公費(fèi)による食事などの消費(fèi)行為はまずない。割り勘にするか、上司がポケットマネーでおごってくれるかだ。安定した職を守るため職責(zé)を盡くし、納稅者に奉仕し、毎日の無(wú)味乾燥な仕事を繰り返すのが公務(wù)員なのだ。
県の財(cái)政も豊かではないようだ。毎年行われる「神戸ルミナリエ」では活動(dòng)の趣旨を考えれば行政がお金を出すか、スポンサーを集めるかすべきところだが、県は募金や関連グッズの販売で資金を獲得している。これには驚かされた。
また、海南省の高校生を招待した時(shí)、教育課の女性職員1人と一緒に中國(guó)の教師4人を日本の高校の授業(yè)參観に連れて行ったこともあった。しかし、6人分用意されるべき晝食のお弁當(dāng)が5人分しかない。4人分はもちろん中國(guó)から來(lái)た教師に。殘りの一つはどうするべきか悩んでいると、彼女は慌てて説明してくれた。一つは私の分で、教育課の職員の分は経費(fèi)が出ないという。あまりにふびんなので、私は彼女に弁當(dāng)を分けてあげた。
しかしこれは序の口だった。週末に高校生たちがホームステイ體験している間、教育課の職員が中國(guó)人教師たちを京都、大阪観光に連れて行った。後から知ったことなのだが、職員は自分の交通費(fèi)を全て自腹で支払っていた。食事代も出ない。おまけに、明らかな休日出勤なのに1分たりとて代休がもらえないというではないか。通訳として役に立ったであろう私に聲が掛からなかったのは、教育課でない職員に自腹を切らせることになるからと納得した。
こんなことは日常茶飯事だという。しかし、耐えられないのはわれわれ外國(guó)人だけ。日本の職場(chǎng)社會(huì)にどっぷりはまっている日本人はこの狀況に黙々と耐えるのみ。せいぜい愚癡をこぼすぐらい。なぜなら、彼らには「これが仕事なのだ」という金言が永遠(yuǎn)につきまとっているからだ。(翻訳?編集/川尻)
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