60年前に夢(mèng)抱きスタートした韓國(guó)の宇宙開発、しかし…

Record China    2017年12月20日(水) 23時(shí)50分

拡大

17日、韓國(guó)?ハンギョレによると、同紙が科學(xué)文化関連史料を調(diào)査する中で「大韓宇宙航行協(xié)會(huì)」という組織が1959年に発足していたことが明らかになった。資料寫真。

2017年12月17日、韓國(guó)?ハンギョレによると、同紙が科學(xué)文化関連史料を調(diào)査する中で「大韓宇宙航行協(xié)會(huì)」という組織が1959年に発足していたことが明らかになった。

大韓宇宙航行協(xié)會(huì)は、アマチュアの同好會(huì)ではなく、學(xué)界と國(guó)防部(空軍)など関連組織の人物があまねく布陣した韓國(guó)初の宇宙開発の専門家集団だった。また、會(huì)誌にはロケット発射體の軌跡計(jì)算やエンジン推進(jìn)剤など、數(shù)式や専門用語(yǔ)が多く含まれた論文が複數(shù)掲載されており、各界各層の著名人が協(xié)會(huì)発足を祝うメッセージを寄せていた。會(huì)誌だけを見(jiàn)ると、韓國(guó)は遠(yuǎn)からず獨(dú)自の宇宙船を開発する雰囲気を持っていた。

そのような狀況にもかかわらず、宇宙開発が推進(jìn)されなかったのはロケット発射體がミサイルに転用できる強(qiáng)力な武器システムでもあったためだ。米國(guó)は當(dāng)時(shí)、日韓のロケット開発に積極的に介入して関連技術(shù)の移転を制御し、開発を抑制する政策を行った。

日本は1955年に東京大學(xué)の糸川英夫教授が鉛筆ほどの大きさの「ペンシルロケット」を作り、発射実験に成功した。これが日本のロケット開発の始まりだった。一方、韓國(guó)は59年に當(dāng)時(shí)の國(guó)防部科學(xué)研究所がロケットの発射実験に成功したという記録がある。さらに仁荷(イナ)大學(xué)でも獨(dú)自製作したロケットが打ち上げられたが、米國(guó)の圧力によってロケット開発が事実上中斷されていた。

紆余(うよ)曲折を経た韓國(guó)の宇宙工學(xué)研究は、今月初めに韓國(guó)航空宇宙研究院で獨(dú)自開発した推力75トン級(jí)ロケットエンジンの燃焼実験が成功裏に終わり、同エンジンを使ったロケットの発射実験が來(lái)年実施される計(jì)畫だという。

この報(bào)道を受け、韓國(guó)のネットユーザーからは「韓國(guó)の主権はどこに行ったんだ」「米國(guó)がいてくれてありがたいこともいっぱいあるけど、ロケット技術(shù)は米國(guó)のせいで遅れをとった」「果たして米國(guó)は韓國(guó)の味方か?」などロケット開発を抑制した米國(guó)への不信の聲が寄せられた。

また「理工系をおろそかにしてきたためにここまで格差が生じてしまった」「基礎(chǔ)科學(xué)から學(xué)び直そう」など謙虛な聲もみられた。

その他「科學(xué)分野は聖域でなければならない。ここまで政治が介入すれば人類の発展はない」とのコメントもあった。(翻訳?編集/三田)

この記事のコメントを見(jiàn)る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問(wèn)い合わせ

Record China?記事へのご意見(jiàn)?お問(wèn)い合わせはこちら

お問(wèn)い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問(wèn)い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜