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11月某日、紅葉、緑が映える名古屋有數(shù)の団地に囲まれた土曜日の學校のグラウンドでは、日本、中國などの多國籍の子どもたちがサッカーに興じていた。寫真は筆者提供。
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11月某日、紅葉、緑が映える名古屋有數(shù)の団地に囲まれた土曜日の學校のグラウンドでは、日本、中國などの多國籍の子どもたちがサッカーに興じていた(寫真1)。中國河南省鄭州市から訪日した小學生と地域のサッカークラブに所屬する日本の小學生らとの國際交流活動である。
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筆者が鄭州市の知人から小學校の國際交流の相談を受けてから、名古屋市の元教員や現(xiàn)任教員のご協(xié)力を得て実現(xiàn)した。
他國の學校との國際交流は、戦後平和運動の一環(huán)として國際的に展開され、姉妹校提攜や姉妹都市提攜を通して行われてきた。日本は戦後アメリカの影響と1980年代に教育の國際化を進めることで、國際姉妹校提攜と國際都市提攜は1990年代にピークを迎えた。一方、中國では時期的に一歩遅れたが、改革開放以降、規(guī)制緩和が進むなかで、草の根の國際交流が徐々に登場してきた。特に2000年代以降、WTO加盟にともなうグローバル化の加速と増大しつつある経済力の下で、人々は國際交流に対する関心が非常に高まっている。
外交や政治面では日中関係は決して良いとは言えない今日だが、こうした時ほど、民間交流による相互理解と友好関係の構築は意味があると思われる。小學校の國際交流ならいっそうのことだと思う。私はこうした思いで今回の交流活動のあっせんを引き受けた。
鄭州の小學校はサッカー選手の育成が特色の一つだとのことで、今回の主な日程はサッカー交流と名古屋市內(nèi)のA校とB校との文化交流であった。言葉は通じなくても、サッカーは萬國の子どもにとって境のないスポーツだ。訪日団が來日後、まずサッカークラブが主催する試合を観戦し、そして地域のサッカー教室の子どもたちとのサッカー交流に興じた。
その後に訪問したのは名古屋市のA小學校であった。4年生と5年生を中心とした中國側の小學生に対して、A校は4年生、5年生、6年生との交流活動を用意した。まず、學校の體育館では4年生とさまざまなじゃんけんをしてみた。生き殘りじゃんけん、足じゃんけん、アルプスじゃんけんをしているうちに、緊張気味だった中國の小學生には笑顔が増え、徐々に日本の小學生と交わることができるようになった。
そして、猛獣狩りの際に、A校の児童たちの元気な聲と勢いのよい動きのなかで、中國の小學生は言葉が分からないが、一所懸命にリズムに合わせて楽しく遊んだ。次は、運動場で5年生としっぽ取りゲームとドッジボールをすることに。12人の中國の小學生は6人ずつA校の小學生と一緒に2チームを組む。しっぽ取りゲームでは最初は中國の子が中國の子のしっぽを、日本の子は日本の子のしっぽを取ったが、そのうち、中國の子が日本の子、日本の子が中國の子のしっぽを取りあうようになり、誰でも一所懸命に走ったり逃げたりするようになった。
その後のドッジボールではすぐにそれぞれのチームに溶け込んだ。サッカーの得意な鄭州の小學生はしっぽ取りの際にキレのよい動きでスピード感を出しており、普段ドッジボールをよく遊んでいたA校の子は腕を大きく振って力強く投げていった。ゲームをしながら、それぞれの體力上の課題も発見した。
いっぱい運動した後、給食の時間を迎えた。給食費を払った上でみんなと一緒に給食を食べることになった。今日の獻立は麥ごはん、牛乳、れんこんのかきまし、豚汁である。中國の子にはイスラム教の子が3人いて、その子たちの給食は筆者が別途で持ってきたお弁當にした。數(shù)人のグループで日本の4?6年生の代表者の子と中國の子が囲んで食事をするが、恥ずかしくてひたすらに食べている子もいれば、興味津々に相手に手振り身振りで話をかけようとしている子もいて、ほほえましいものであった。
A校は給食のメニューや食事前後のあいさつ言葉もイラスト付で日本語と中國語で表記する紙を各人のプレースマットとして用意している(寫真2)。とても分かりやすかった。また、給食を通して親交を深めるほかに、教育活動でもある日本の給食で行われる擔當制やごみの分別を學ぶこともできた。
午後の6年生との交流活動は、筆者は仕事の都合で參加できなかったが、中國の子は「けん玉」「だるま落とし」「福笑い」「竹とんぼ」「獨楽回し」「メンコ」などの日本の伝統(tǒng)的な遊びを日本の子に教えてもらい、特に「けん玉」「だるま落とし」は楽しそうに取り組んでいたそうである。交流後の帰り道で、中國の子はガイドさんに「明日また來ますか」と期待する気持ちで聞いたそうで、當日の交流はとても楽しくて心に殘る時間になったのだろう。
翌日は名古屋市のB小學校を訪問した。體育館で開かれた全校歓迎集會では日本語と中國語による挨拶が行われ、特に校長先生のきれいな中國語発音に中國側一同が驚いた。B校の児童代表から大好きな學校について紹介され、中國側の児童代表は學校所在地と學校生活について紹介した。
B校の紹介內(nèi)容は「みんな明るい」など非常にやさしいものだったが、中國側の紹介內(nèi)容は地元の歴史や文化が多く、いかにも大陸らしい。集會後、5年生の2學級との交流である。12人の中國の子は6人ずつで2つの學級に入った。1つの學級では折り紙で一緒にコマを作り、もう1つの學級では一緒に書道をするものであった。授業(yè)の後半に入ると、交代してもう1つの學級の活動に參加する。中國では切り絵の文化が盛んであるが、折り紙はあまり多くない。鄭州の子たちはB校の子に教えてもらいながら、カラフルな折り紙で彩ったコマを作って喜んでいた(寫真3)。
書道活動では「今日に感謝 あなたに感謝」の一文は、日本の子がひらがなを、中國の子が漢字を書いて一緒に完成させる(寫真4)。具體的な作法が異なっても、日中の文化交流の象徴である書道だからこそ伝わった親しみがそこに込められているように感じた。
給食は5年生の2つの學級と一緒にとることになった。今回は筆者も子どもたちと同じテーブルにつき、周辺の子どもたちの會話を促いながら通訳した。ほとんど一人っ子または2人兄弟の中國の子に対し、日本の子には一人っ子もいれば、2、3人兄弟の人もいて、なんと10人兄弟の子もいて、みんな驚いた。給食後は清掃時間に入る。中國の子たちが暫く休憩するが、中國の教員らはB校の児童たちの清掃を見學し、隅々まで、トイレまで清掃する子どもたちの様子に感心した。
午後、4年生と體育館で○×ゲーム。擔任が用意した日本と中國に関する簡単な質問を、みんなが○か×の場所に移動して答えるというもの。ゲームが始まると、體育館はすぐに子どもたちの元気な聲が響き渡った。移動しながら、子どもたちは體や表情で〇や×を表しながら自分の答えを相手に伝え、相手の答えを知り、一緒に喜んだり「へー」と言ったりしていた。その後、擔任が用意したクイズを、中國または日本の子だけに見せてその意味を體で表現(xiàn)して日本または中國の子に當ててもらうゲームをした。どの子も一生懸命に表現(xiàn)して相手に伝えようとした。賑やかな交流活動をするなかで時間はあっという間に過ぎた。
短い交流だったが、A校とB校の校長と教員方の行き屆いた準備と素敵なアイデアでとても有意義で充実した時間を過ごすことができた。中國の子どもたち、日本の子どもたち、皆さんはどんなことを心に殘して別れを告げたのだろうか。また聞かせてください。
■筆者プロフィール:武 小燕
中國出身、愛知県在住。中國の大學で日本語を學んだ後、日系企業(yè)に入社。2002年に日本留學し、2011年に名古屋大學で博士號(教育學)を取得。単著『改革開放後中國の愛國主義教育:社會の近代化と徳育の機能をめぐって』、共著『変容する中華世界の教育とアイデンティテ?!?、『歴史教育の比較史』、研究報告書『多文化世帯に生きる子どもたちの言語習得に関する実証研究:愛知県における中國系世帯とブラジル系世帯の比較を通して』などがある?,F(xiàn)在名古屋付近の大學で研究と教育に取り組んでいる。一児の母として多文化教育を実踐中。教育、子育て、社會文化について幅広く関心をもっている。
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