Record China 2008年11月6日(木) 23時55分
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5日、両岸(中國と臺灣)冷戦時代、中國本土向けのプロパガンダ放送局として活躍した臺灣の海外向けラジオ局「中央広播電臺(中央ラジオ)」の60年の歴史を中國紙が振り返った。寫真は4日、初訪臺した陳雲(yún)林?海峽両岸関係協(xié)會會長を迎える連戦?國民黨栄譽主席。
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2008年11月5日、新華社通信のウェブサイト新華網(wǎng)は、両岸(中國と臺灣)冷戦時代、中國本土向けのプロパガンダ放送局として活躍した臺灣の海外向けラジオ局「中央広播電臺(中央ラジオ)」の60年の歴史を振り返った。
【その他の寫真】
中央ラジオの海外向け放送「臺灣國際放送」の歴史は古く、1928年、當時國民黨政府の首都が置かれていた南京市で始まった。蔣介石(しょう?かいせき)率いる國民黨軍が臺灣に逃れた翌年の1950年からは、中國本土向け放送を強化するため専門部門を設置。その後、打倒共産黨政府を狙った様々な心理作戦が展開された。
特に宣伝道具として重用されたのは、テレサ?テン(トウ麗君)が歌っていた「何日君再來」。共産黨政府はこれを「みだらで退廃的な音楽」として聴くことを禁じたが、それでも本土での人気は凄まじかった。當時は、「中國は、晝と夜で2人のトウ(トウ小平とトウ麗君)に支配されている」というジョークまで流行っていたほどである。
長い間重要な役割を擔ってきた中央ラジオだが、馬英九(マー?インジウ)総統(tǒng)が誕生してからはその様相も一変。馬総統(tǒng)は先月、中央ラジオに「中國政府の批判放送は止めるよう」指示したが、これに反発した臺灣獨立派の幹部が一斉に辭職する騒ぎも起こっている。(翻訳?編集/NN)
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