<舊日本軍>強(qiáng)制連行で死亡の中國人捕虜、名簿作り始まる―パプアニューギニア

Record China    2009年2月12日(木) 22時2分

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11日、パプアニューギニアのラバウルで第二次世界大戦中に日本軍の捕虜として強(qiáng)制労働に従事し、亡くなった中國人の遺骨を祖國に戻そうという運(yùn)動が、中國で盛り上がりを見せている。寫真は06年10月に訪中した時のパプアニューギニア総督、ポーリアス?マタネ氏。

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2009年2月11日、パプアニューギニアのラバウルに、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜として強(qiáng)制労働に従事し、亡くなった中國人のための墓地がある。中國のネット上では昨年末から、彼らの遺骨を祖國に戻そうという運(yùn)動が盛り上がりを見せている。重慶華龍網(wǎng)が伝えた。

その他の寫真

ラバウルには第二次大戦中、日本海軍航空隊(duì)の基地があり、日本軍により強(qiáng)制的に連れてこられた中國人捕虜は653人に上った。彼らの多くは現(xiàn)地で死亡。その多くはいまだ身元不明のまま異國の地に眠っている。ところが昨年末、中國紙の報(bào)道でこれを知った中國のネットユーザー數(shù)百萬人が、「遺骨を祖國に戻そう」運(yùn)動を開始。中國外交部もこれに応え、「名もなき英雄」たちの名簿作りに乗り出した。

だが、現(xiàn)地の中國大使館によると、同國には當(dāng)時の資料はほとんど殘っておらず、手掛かりは非常に少ない。中國人の名前を外國人が正確に記録できるはずもなく、確認(rèn)作業(yè)は難航。現(xiàn)在までに身元が判明したのはわずか2人となっている。(翻訳?編集/NN)

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