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2日、環(huán)球時報は「なおざりにされた中日黃金時代」との記事を掲載し、かつて中國と日本が協(xié)力し合った時代を回顧するとともに、「恨み、憎しみ」ではいかなる問題も解決できないとの主張を展開した。寫真は魯迅。
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2009年4月2日、環(huán)球時報は「なおざりにされた中日黃金時代」との記事を掲載し、かつて中國と日本が協(xié)力し合った時代を回顧するとともに、「恨み、憎しみ」ではいかなる問題も解決できないとの主張を展開した。
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記事によると、「中日黃金時代」とは1898?1911年を指し、この期間中、日本は中國のため、軍事面だけでなくさまざまな方面で手助けをした。その行為は純粋な友情としての色彩さえ帯びていたという。
さらにこの期間中、中國から日本へ少なくとも學(xué)生2萬5000人が留學(xué)し、インテリ層には日本への移民ブームも起こった。日本の「進歩的な政治、整った學(xué)校制度、すばらしい社會習(xí)慣、1つにまとまった人心」などは留學(xué)生たちに大きな影響を與えた。また、日本は留學(xué)生たちに「世界を眺める窓」を提供した。例えば魯迅(ろじん)の西洋小説に対する理解の根源は、日本の翻訳本から學(xué)んだものだった。1911年の辛亥革命以降、日本で學(xué)んだインテリ層が中國で日本の書籍を翻訳し、日本式の教育制度に基づき教育機構(gòu)改革を行うなど、この時代の中國人の多くは、日本に対する親近感を抱いていたという。
その後、戦爭によって両國の関係は悪化。記事では、「1972年の日中國交回復(fù)から、89年までが新たな黃金時代だった」としている。この時代、日本は中國への罪悪感から中國の経済発展に盡力した。しかし、89年以降、日本は中國の飛躍的な発展に脅威を感じ、両國の関係に新たな亀裂が生じ始め、戦爭による傷跡は癒やされないまま現(xiàn)在に至ったとしている。
記事では最後に「いつの時代のどんな國でも、恨みや憎しみでは問題は解決できない」とし、両國の黃金時代を回顧している。(翻訳?編集/HA)
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