「本土反攻」計畫、蔣元総統(tǒng)の手書き原稿が公開される―臺灣

Record China    2009年4月22日(水) 18時56分

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21日、50年前に「中國本土反攻」の秘密基地が置かれていた故?蔣介石(しょう?かいせき)元総統(tǒng)一族の舊別荘地「後慈湖」で、中國本土を攻撃する「國光計畫」を記した蔣元総統(tǒng)の手書きの原稿が初めて一般公開された。寫真は中國南京市にある舊総統(tǒng)府。

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2009年4月21日、50年前に「中國本土反攻」の秘密基地が置かれていた故?蔣介石(しょう?かいせき)元総統(tǒng)一族の舊別荘地「後慈湖」で、中國本土を攻撃する「國光計畫」を記した蔣元総統(tǒng)の手書きの原稿が初めて一般公開された。人民網(wǎng)が伝えた。

その他の寫真

「國光計畫」は62年、大躍進(jìn)政策によって國力を疲弊させた中國本土に対し、攻撃のチャンスと捉えた蔣元総統(tǒng)が著手したもの。政府や軍部に専門の組織を設(shè)置し米國の支持を得ようとしたが、全面戦爭に発展することを恐れた米國はこれに反対した。その後、海軍戦艦が中國沿海を偵察していた65年、人民解放軍に撃沈されたことをきっかけに計畫の遂行は難しいと判斷した蔣元総統(tǒng)は、規(guī)模の縮小を開始。72年には計畫の中止が宣言された。

「後慈湖」は臺灣の桃源県と國防當(dāng)局が半年の改裝を経て、展覧館として一般開放した。「國光計畫」の手書きの原稿は観光客が自由に閲覧することができる。(翻訳?編集/NN)

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