Record China 2009年5月11日(月) 17時(shí)43分
拡大
10日、山東省萊蕪市の南部で、春秋戦國時(shí)代に魯國が建造した長城の一部と見られる遺跡が発見された。寫真は同省內(nèi)にある、戦國時(shí)代に斉國が建造した長城。
(1 / 4 枚)
2009年5月10日、新華社通信(電子版)によると、山東省文物調(diào)査チームはこのほど、山東省萊蕪市南部の徂徠山脈で春秋戦國時(shí)代(紀(jì)元前770年?紀(jì)元前221年)に魯國が建造した長城の一部と見られる遺跡を発見した。
【その他の寫真】
調(diào)査チームによれば、発見されたのは大規(guī)模な石垣と、砦と見られる遺跡。砦の遺跡は大部分が萊蕪市にまたがっており、規(guī)模は30kmに及ぶ?,F(xiàn)在までの調(diào)査から、石垣は山肌に沿って東西に延びており、現(xiàn)在の泰安市にまで至る可能性が高いと見られている?,F(xiàn)存する石垣の高さは1m前後で、最も高いところで2mほど。厚さは1.2?2.8mで、山と山の間の平坦な場所に建てられており、砦と見張り臺(tái)が山頂に建てられていたかたちになる。砦は円形か円に近い形狀となっているという。
古文書には、魯國が長城を建造した記録は殘っていないものの、今回の遺跡発見を受け、調(diào)査チームが現(xiàn)地入りし調(diào)査した結(jié)果、見つかった石垣や砦などの遺跡が春秋時(shí)代(紀(jì)元前770?紀(jì)元前403年)末期から戦國時(shí)代(紀(jì)元前403年?紀(jì)元前221年)に建造されたものと判斷された。
調(diào)査チームのメンバーは、遺跡は魯國が隣國である斉國との國境付近に防衛(wèi)のために築いたものではないかと見ている。また、考古學(xué)者は石垣の建設(shè)方法や高さ、幅などから、この石垣が使用された期間は短い可能性が高いとして、春秋時(shí)代末期か戦國時(shí)代初期に建造され、間もなく遺棄されたものと見ている。(翻訳?編集/岡田)
この記事のコメントを見る
Record China
2009/4/30
2009/1/2
2008/6/9
2008/7/5
2009/4/2
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る