<レコチャ広場(chǎng)>軍事、経済の次は思想=「包容力」で世界の精神的リーダー狙う?―中國(guó)

Record China    2009年6月29日(月) 17時(shí)53分

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27日、レコードチャイナ?ライターによる個(gè)人ブログ「全人類(lèi)の中國(guó)分析2」は、中國(guó)が世界の「精神的リーダー」の座も狙っていると論じた。寫(xiě)真は南京大虐殺記念館前で平和を祈願(yuàn)する日中両國(guó)の僧侶。

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2009年6月27日、レコードチャイナ?ライターによる個(gè)人ブログ「全人類(lèi)の中國(guó)分析2」は、中國(guó)が世界の「精神的リーダー」の座も狙っていると論じた。

その他の寫(xiě)真

以下は同ブログより。

■中國(guó)の「包容力」が世界平和に貢獻(xiàn)へ―中國(guó)メディア

少し古い記事(2月配信)だが、以前から気になっていたので、紹介したい。

記事によれば、包容力こそ中國(guó)に古くから伝わる美徳であり、その最たる例は宗教で、「歐米諸國(guó)が1970年代にようやく掲げ始めた文化多元主義を、中國(guó)はとっくの昔から実踐していた」のだという。國(guó)教を定め異教徒を認(rèn)めない國(guó)は、爭(zhēng)いごとが絶えないが、中國(guó)文化に深く根付く包容力は、グローバル化が進(jìn)む國(guó)際社會(huì)においてますます存在感を増しており、これからの世界平和や萬(wàn)國(guó)共通の価値観を築く上で多大な貢獻(xiàn)をするだろうと結(jié)論づける。

1、中國(guó)に宗教的包容力があるのか。

まず、この記事の筆者(新華社)は宗教がよくわかっていないと思われる。宗教とは、単なる心の拠り所でも、たんにご利益をありがたがることでもない。歴史から私たちが學(xué)ぶことのできる宗教とは、その人の人生に価値を付與する出來(lái)事である(マインド?コントロールは宗教としない)。それゆえ特定の宗教を信じるというのは、その価値観に立つことが前提となる。この筆者に限らず、現(xiàn)代の中國(guó)人と日本人全般に、それが理解しにくいのではないだろうか。

「喧嘩両成敗」という言葉があるが、この言葉の意味は、爭(zhēng)った両方とも有罪ということである。雙方ともに否定して初めてその場(chǎng)が収まるという考え方だ。上の記事の場(chǎng)合、それがこの包容力という言葉にすりかわっているに過(guò)ぎない。本人はすべての宗教を抱擁しているつもりかもしれないが、実際は、すべての宗教を否定しているのだ。無(wú)神論者は宗教間の仲裁者にはなれない。そのような國(guó)に助けてほしいと思う宗教も、ないのではないか。

2、中國(guó)の本當(dāng)の狙いは?

70年代、キリスト教が相対化され、イスラム教やアジア文化の影響を無(wú)視できなくなった歐米にとって、「文化多元主義」に進(jìn)む以外に道はなかった。キリスト教文明を世界におしつけることをやめ、さまざまな文明が存在すると認(rèn)め、共存の道を探り始めたのだ。その文化多元主義を中國(guó)が「とっくの昔から実踐していた」とは。これは恣意的な歴史解釈という言葉ではすまされない。

これは國(guó)営新華社通信の記事であり、當(dāng)局の考え方を直接反映したものだ。當(dāng)局は國(guó)家宣伝戦略に多少あせり過(guò)ぎたようにもみえる。いずれにしても、これは中國(guó)の自信のあらわれだろう。軍事力、経済力、そして國(guó)際政治での発言力の次は、世界における「精神的リーダー」の座も狙っていると見(jiàn)るのが自然である?,F(xiàn)段階では非現(xiàn)実的に過(guò)ぎるが、何が起こるかわからないのがこの世界だ。この分野における中國(guó)の動(dòng)きに注目していくのも、おもしろいかもしれない。

■「全人類(lèi)の中國(guó)分析2」は中國(guó)ニュースを材料に、情報(bào)を正しく解読することの大切さを伝える、あるレコードチャイナ?ライターのブログ。Livedoor Blogに掲載。

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