Record China 2009年9月10日(木) 16時45分
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10日、レコードチャイナ?ライターによる個人ブログ「全人類の中國分析2」は、中國の「教師の日」に、教育についての再考を促す文章を掲載した。寫真は教室で新型インフル予防のマッサージをする中國の小學(xué)生たち。
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2009年9月10日、レコードチャイナ?ライターによる個人ブログ「全人類の中國分析2」は、中國の「教師の日」に、教育についての再考を促す文章を掲載した。
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以下は同ブログから。
今日は中國の「教師節(jié)」――教師の日。中國では、生徒や學(xué)生が先生に感謝を表したり、プレゼントを渡したりする日だ。
筆者も教育と縁がある。中國で日本語教師として6年間働いた経験があり、現(xiàn)在は、あるインターナショナルスクールの運営?管理に攜わっている。やはり、一生懸命教えた學(xué)生から「先生、ありがとう」と言われると、悪い気はしないものだ。
妻は教育學(xué)部出身、長く高校教諭を続けていた。かつて妻が、「日本の先生たちは、全部とは言わないけれど、多くの人が、先生になりたくてなったわけではないのよ。それに優(yōu)秀な人は先生にならない場合が多い」と話していた。それはなぜかというと、教育學(xué)部は偏差値が比較的低く、點數(shù)が低くても入れるからだという。それを聞いて、「それは言いすぎだろう」と思ったのを覚えている。優(yōu)秀な教師も多くいるはずだ、と。
その後、中國での學(xué)習(xí)塾の経営を通して、たくさんの小學(xué)校?中學(xué)校の先生たちと知り合うことになった。塾は夜と週末。小遣い稼ぎをしたい先生たちに講師をお願いすることになるからだ。そこで感じたのが、気味が悪いほど「皆、教師らしい」ということだった。こんなことを言っては悪いが、個性に乏しく、皆同じに見えるのだ。
妻は言った?!溉毡兢扦猡饯Δ?。教諭というのは、教育學(xué)部を出た人しかならないから、みんな同じになる。『教育學(xué)部』という環(huán)境しか知らない人たちばかり。私もそうだけど」。當(dāng)たり前だと思っていたが、これは當(dāng)たり前ではなさそうだ。日本では、大學(xué)教授はともかくとして、ほかの教師はほとんどが、教育學(xué)部製なのだ。もともと教育の質(zhì)を保証するためだったのだろうが、今は逆に、これが病める教育現(xiàn)場をつくる要因になっているのではないかとさえ思った。
この夏、公立學(xué)校でも私立學(xué)校(學(xué)校法人)でもない學(xué)校を卒業(yè)したという大學(xué)生が訪ねて來てくれた。彼の卒業(yè)した學(xué)校は文科省に認定されていない私設(shè)の「寺子屋」のようなものなので、「高等學(xué)校卒業(yè)程度認定試験」(舊大検)を受ける必要があり、同試験に合格してから、大學(xué)に進んだという。彼の學(xué)校には教育學(xué)部出身の先生は誰もいない。社會の各分野で活躍している人たちが、それぞれの得意教科を教えているそうだ。これは面白い、と思った。
そのような學(xué)校では、不登校や引きこもりがきっかけで、わらにもすがる思いで子どもを送りだす親も多いと聞いたが、結(jié)果、公立學(xué)校よりよほど「いい」教育が受けられることもある。そこは教育委員會が関與しない。日教組もない。日本人は集団催眠にかかったように、畫一的教育を受け、畫一的人生を目指してきたが、小泉改革や金融危機も手伝って生じた大きな社會変化のなかで、価値観の転換を余儀なくされている。逆に、これはチャンスかもしれない。
もともと教育は、寺院で僧侶が行い、教會で聖職者が行うものだった。寺子屋では、師弟関係が強く、人格教育もほどこされていた。國家による學(xué)校制度は本來、家庭教師を雇ったり、子どもを私塾に通わせたりするほど経済的に恵まれない家庭の子どもにも教育を受ける機會を與えるために始まったものだった。普通に考えれば、家庭教師が一流、私塾が二流、公立學(xué)校はその下だ。時代は変わり、今やその學(xué)校制度が教育界を席巻し、學(xué)校至上主義を人々に植え付けてしまった。日本が生き殘るために、教育こそ、規(guī)制緩和が必要なのではないか。
中國の教師も親も、大きな混亂の中にある。8月25日付レコードチャイナによると、中國教育部が、小中學(xué)校のクラス擔(dān)任に、「しかる権利」を認めたという。冗談のような話だが、これが教育現(xiàn)場の現(xiàn)狀だ。一部の學(xué)校では、自分の子どもを可愛がってもらうために、擔(dān)任教師に贈り物をするのが、當(dāng)たり前となっている。
我が家にも小學(xué)生の娘がいるが、學(xué)校には行っていない。彼女はいわゆるホームスクールの生徒だ。妻と筆者で教えている。親に勝る教師はいないと信じるから。そのうち日本でも、「専業(yè)主婦」から「専業(yè)教師」に転職する女性が増えるのではないか、と期待している。
■「全人類の中國分析2」は中國ニュースを材料に、情報を正しく解読することの大切さを伝える、あるレコードチャイナ?ライターのブログ。Livedoor Blogに掲載。
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