Record China 2009年9月13日(日) 18時(shí)33分
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09年9月、映畫(huà)の中のチャイナ第3回は「20世紀(jì)少年〈最終章〉ぼくらの旗」。すでに3作目となる一連の作品の最後。目に付く中國(guó)的な要素は3つある。寫真は08年3月、北京五輪の聖火到著に合わせて大々的に歓迎セレモニーが催された天安門広場(chǎng)。
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2009年9月、映畫(huà)の中のチャイナ第3回は、こちらもシリーズ3作目となる「20世紀(jì)少年〈最終章〉ぼくらの旗」を取り上げる。目に付く中國(guó)的な要素は3つある。
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チャイナ?ファクター(中國(guó)的要素)としてまず、「神の子」と呼ばれる少女カンナが働く新宿歌舞伎町の中華料理店と中國(guó)マフィア。映畫(huà)の舞臺(tái)となった街?新宿は「ともだち」支配の東京と言う殺伐とした環(huán)境の中でも、アジア系マフィアが正面衝突する特に治安の落ち著かない場(chǎng)所だ。
実は最近、大學(xué)に入學(xué)したばかりの知人の娘が歌舞伎町のど真ん中の中華料理店というまさにカンナと同じ環(huán)境でバイトをしているという話が伝わり、関係者一同「危ないんじゃないのか」とびっくり、大騒ぎとなった。
この出來(lái)事は、若い世代は歌舞伎町だろうが、中國(guó)系だろうが何の予備知識(shí)も先入観もないことを証明してくれた反面、やはりかつて新宿事件の舞臺(tái)となった,血なまぐさく物騒な新宿のイメージが自分も含めた一般の日本人の意識(shí)に沈殿していることを改めて考えさせてくれた。
◆中國(guó)マフィアによる自己犠牲
本作の中で、中國(guó)マフィアとやり取りするカンナは怪しげな中國(guó)語(yǔ)をしゃべる。
現(xiàn)代の標(biāo)準(zhǔn)中國(guó)語(yǔ)となっている普通話(北京語(yǔ))は実は日本の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)ほど話し方が統(tǒng)一されていなし。中國(guó)人でもその出身地の発音(方言)に大きく影響されている。もしかするとカンナの発音も新宿を拠點(diǎn)とする福建系の発音に近いのかもしれない。これは私には區(qū)別できないが、はっきりしているのは北方の正統(tǒng)北京語(yǔ)的な発音ではなく、むしろ日本人ぽい。
でも、主演の平愛(ài)梨さんはそのうえにタイ語(yǔ)まで話さなければいけないのだから、北京語(yǔ)の発音ぐらいのことは何でもない。ベースボールキャップをかぶったボーイッシュな姿が似合いながらも女の子らしいか弱さも表現(xiàn)できるいい女優(yōu)だと思う。
カンナの気性を知る中國(guó)マフィアたちが彼女にワクチンを接種させるために打つ大芝居がある。
自らを犠牲にするこの大芝居は原作者の日本的感性の表れのようにも感じられるが、先般日本でも大ヒットした映畫(huà)「レッドクリフ」においても、故郷の家族,戀人を守るため、あるいは後に続く戦友たちの突破口を作るために先頭に立って命を捧げる中國(guó)人兵士たちの姿が描かれていた。
かつて歐米では日本の「カミカゼ」特攻隊(duì)で有名となった自爆行為も、今や中東イラク等における「自爆テロ」にお株を奪われている。
別に日中両國(guó)だけに固有でもなく洋の東西を問(wèn)わずみられる、自己犠牲のさまは悲しい。
◆人口大國(guó)?中國(guó)は無(wú)視できない?それならインドは?
2番目に、北京の天安門広場(chǎng)。世界の破滅を演出しようとする「ともだち」が放った怪しいセールスマンたちが世界各地で細(xì)菌兵器を噴射させるスーツケースがこの広場(chǎng)でも動(dòng)き出し、人々はみな全身から血を噴き出して倒れる。
地球の人口の3分の1がこの大殺戮で死亡するわけだから、やはり人口大國(guó)中國(guó)を外すことはできなかったのだろう。しかし、遠(yuǎn)くない將來(lái),中國(guó)を追い抜くと予想されるもう一つの人口大國(guó)インドはどうだったのか。不思議と印象に殘っていない。
◆若者を引き付ける原作の強(qiáng)さ
そして最後に、堂々と主テーマとなっているが、表面だけでは分かりにくいチャイナ?ファクターがある。
1970年に開(kāi)催された大阪萬(wàn)博だ。
大阪萬(wàn)博は、高度成長(zhǎng)を遂げ東京五輪を成功させた後、海外旅行など考えられなかった「普通の日本人」が初めて、世界そして先進(jìn)國(guó)の科學(xué)技術(shù)や文化などに直接觸れる機(jī)會(huì)となった大舞臺(tái)でもあった。
北京五輪を昨年経験し経済成長(zhǎng)の波に乗り2010年の上海博に臨もうとしている中國(guó)と時(shí)代背景がとてもよく似ている。
私は「20世紀(jì)少年」の原作者とも近い世代だが、當(dāng)時(shí)住んでいた東京から大阪萬(wàn)博を見(jiàn)に行くことはできなかった。でも、「岡本太郎といえば太陽(yáng)の塔」といった、このころに定著した印象はいまでもあまりに強(qiáng)烈だ。それほどに萬(wàn)博の影響は根強(qiáng)い。本作でも萬(wàn)博會(huì)場(chǎng)や太陽(yáng)の塔など當(dāng)時(shí)のアイコンがこれでもか、というほど現(xiàn)れる。
そして「當(dāng)時(shí)の少年たち」の胸に、脳裏に、その頃の記憶がどれほど鮮明に深く刻み込まれたかが、ドラマの大きな鍵として全編を貫いている。
1970年臭さがあまりにキツいので、この映畫(huà)はその世代の中高年向けかとも思ったが、都內(nèi)で見(jiàn)た「最終章」の観客には若い人たちがとても多かった。大阪萬(wàn)博や昭和昭和30?40年代アイテムを今の日本の若者がどのようにエンジョイしているのか計(jì)りかねるが、これだけの若いファンを3作目まで引き付けたのは原作の力強(qiáng)さだろう。
◆原作と異なる結(jié)末
これまでチャイナファクターのことを論じてきたが、それを離れて気になったことを幾つか。映畫(huà)の作りが「原作を忠実にたどった」とも評(píng)価された第1作から一転して、第3作は原作と異なる結(jié)末を採(cǎi)用している。映畫(huà)化にはあり得ることだが、少し気になったことの第一點(diǎn)は、公開(kāi)前の試寫會(huì)で最後の結(jié)末を伏せて上映したこと。よく試寫會(huì)の事情を知らず喜び勇んで出かけた若者が「こんな映畫(huà),見(jiàn)に行かない」と言って憤っていた。
興行の仕掛けの一つとして、公開(kāi)まで見(jiàn)せないという判斷は構(gòu)わない?!缸钺幛?0分はお見(jiàn)せしません」と斷って試寫會(huì)を開(kāi)催したのだろうからそれも悪くないかもしれない。
でも、秘密性を重視するなら試寫會(huì)を開(kāi)かない選択肢もある。半端な隠し方に抵抗を感じたのは私だけではなさそうだ。
もう一つ、原作の設(shè)定との比較は難しいが、「なぜここにイケメンをあえて使うの?」という不釣り合いなイケメン起用があった。これから見(jiàn)る人のために具體的には書(shū)かないが、「あれ?」と思った。
かつて仲間由紀(jì)恵が主演した「リング」を見(jiàn)た時(shí)、テレビドラマの中では怖かったはずのドラマが怖く感じられなかった。仲間さんがあまりに可愛(ài)く清楚なままで演じていたので、作品全體の緊張感がすっ飛んでしまっていたのである。
今回も同じような感じだ。イケメンで盛り上げようという発想なのだろうか、とても殘念だった。唐沢壽明のケンヂ役はまあハマっていたし、他の主要キャラもとてもなじんでおり、中でも「小泉今日子」と「春波夫」はこれ以上ないくらい役者さんとのフィット感があっただけに。
◆◆◆◆
大阪萬(wàn)博とシンクロしそうな2010年上海萬(wàn)博、中國(guó)の若者たちにどのように影響して行くのか、時(shí)折「20世紀(jì)少年」を思い出して比較しながら考えるのもオツではなかろうか。いっそ、上海萬(wàn)博のイベントで「20世紀(jì)少年」を上映しないかな。中國(guó)の人たちはどう見(jiàn)るだろう。
<映畫(huà)の中のチャイナ3>(文章:kinta)
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