<レコチャ広場(chǎng)>村上春樹は2度と訪中しない…?「料理に懲りた」から―中國(guó)語(yǔ)版翻訳者

Record China    2009年10月27日(火) 17時(shí)52分

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26日、村上春樹氏の作品の翻訳者として知られる林少華氏はブログで、村上氏が15年前に中國(guó)を旅行した際、とんでもない目に遭ったエピソードを紹介した。寫真は中國(guó)の東北料理。

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2009年10月26日、村上春樹氏の作品の翻訳者として知られる林少華(リン?シャオホア)氏は中國(guó)のブログサイト?網(wǎng)易博客で、村上氏が15年前に中國(guó)を旅行した際、とんでもない目に遭ったエピソードを紹介した。以下はその內(nèi)容。

その他の寫真

村上氏は米國(guó)に滯在した93年?95年、「うずまき貓のみつけかた」という滯在記を執(zhí)筆したが、その中に94年に中國(guó)の東北地方を旅行した時(shí)のエピソードが書かれている?!袱长蜗膜现袊?guó)?モンゴル旅行と、千倉(cāng)旅行をしました」と題されたその章での村上氏は、とにかく悲慘。楽しみにしていた中國(guó)旅行だったが、現(xiàn)地の脂っこくて強(qiáng)烈に塩辛い料理をどうしても食べることができず、道中のほとんどを持參したビスケットで飢えをしのいだ。村上氏自身も自らを「可哀そう」と綴るほど、辛い旅だったらしい。村上氏がその後、2度と中國(guó)を訪れようとしないのは、この體験がトラウマになっているからではないかと推測(cè)する。

當(dāng)時(shí)はすでに「ノルウェイの森」や「ダンス?ダンス?ダンス」が出回っていたが、その頃の中國(guó)に村上作品を理解する土壌は出來(lái)ていなかった。村上人気を支える「プチブルジョア」や「ホワイトカラー」といった層が出現(xiàn)するのは、そのもっと後である。そのため、村上氏の訪中は當(dāng)時(shí)、誰(shuí)にも注目されなかった。もし今だったら、マスコミでも大々的に報(bào)道され、熱狂的なファンたちがあれこれ世話を焼いていただろうに…。(翻訳?編集/NN)

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