舊日本軍による「爆撃遺跡」をまとめて文化遺産に、南京並みの記念館建設(shè)も―重慶市

Record China    2010年1月5日(火) 12時(shí)7分

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4日、日中戦爭(zhēng)中の1938年から43年の間に舊日本軍による爆撃を受けた中國(guó)?重慶市が、市內(nèi)に點(diǎn)在する「爆撃遺跡」を一括して國(guó)の文化遺産に申請(qǐng)していたことが分かった。寫真は2008年6月、「重慶大爆撃記念遺跡」の前で追悼活動(dòng)をする市民たち。

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2010年1月4日、日中戦爭(zhēng)中の1938年から43年の間に舊日本軍による爆撃を受けた中國(guó)?重慶市が、市內(nèi)に點(diǎn)在する「爆撃遺跡」を一括して國(guó)の文化遺産に申請(qǐng)していたことが分かった。重慶晩報(bào)が伝えた。

その他の寫真

記事によると、重慶市には計(jì)755か所の爆撃跡があったが、都市化が進(jìn)むとともに無計(jì)畫な取り壊しが行われ、現(xiàn)在は386か所しか殘っていない?,F(xiàn)在も取り壊しや風(fēng)化による劣化は進(jìn)んでおり、早急な保護(hù)対策が求められている。

同市には舊日本軍による爆撃に関する資料を展示した「重慶大爆撃記念遺跡」があるが、「重慶抗戦文化資料保護(hù)と利用に関する研究」を報(bào)告した市社會(huì)科學(xué)院のプロジェクトチームによれば、規(guī)模が小さく、展示室に數(shù)枚のパネルが飾ってあるのみ。そのため、同市にも江蘇省南京市の「大虐殺記念館」のような大規(guī)模な資料館を建設(shè)すべきだと提案している。

舊日本軍による重慶への爆撃は、中國(guó)では「重慶大爆撃」と呼ばれている。日中戦爭(zhēng)中の38年12月から43年8月にかけ、斷続的に218回行われた。中國(guó)側(cè)の資料によると死者は計(jì)1萬人を超えている。(翻訳?編集/NN)

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