<在日中國人のブログ>中國人はなぜ決して謝らないのか?謝罪に見る日中文化の違い

Record China    2010年1月7日(木) 12時53分

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6日、評論家の孔健氏は、「“謝罪”から見る日中のお詫び文化の違い」と題したブログ記事を発表した。寫真は江蘇省南京市の実店舗モール「西祠街區(qū)」が経営失敗を宣言、従業(yè)員らが「私が間違っていました」とする橫斷幕を掲げて訪れた市民らに詫びた。

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2010年1月6日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔?。à长?けん)氏は、「“謝罪”から見る日中のお詫び文化の違い」と題した記事を中國のブログサイトに発表した。以下はその概略。

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日本人と中國人の「お詫び」に対する文化は大きく違う。例えば、10年近く前に當時の小泉純一郎首相が訪中した際、北京郊外の盧溝橋(編集注:日中戦爭の引き金となった盧溝橋事件の舞臺)で「心からのお詫びと哀悼の気持ち」を表明したが、中國人はこれを日本の首相による公式な謝罪と受け止めた。だが、日本人にしてみれば単に個人的な気持ちを述べたに過ぎず、謝っている訳ではなかった。

日本人の「お詫び」は自分のメンツを保つ方法の1つとなっている。日本では許しを乞うことでその人のイメージや尊厳を回復させることができるのだ。少し前に鳩山由紀夫首相が母親からの違法な政治獻金問題で、記者會見を開き、國民に謝罪した。これこそが自らの罪を一掃させる最良の方法で、こうすることで國民の許しが得られる。だが、中國人にしてみれば、一國の首相たる者が國民に謝罪をするなど到底理解できない。

中國人にとって謝ることは、メンツを失う行為である。例え自らの過ちを分かっていても、絶対に謝らない。中國人にとって謝罪とは、勝ち負けそのもの。謝ってしまったら負けなのだ。例えば、數(shù)年前に瀋陽の日本領(lǐng)事館で北朝鮮人が駆け込みをはかった際、中國の武裝警官が敷地內(nèi)に無斷で足を踏み入れた事件があった。この時、日本側(cè)に謝罪を求められた中國側(cè)は頑として謝らなかった。中國人はこれを日本への勝利だとし、大いに自己満足に浸ったのである。

しかし、謝らないことでメンツは保てるが、國際的な信用は失うことに我々中國人は気付かなければならない。間違ったことをしたら思い切って謝ってこそ、國際化に向けた第一歩が踏み出せるのではないだろうか。そうすることで、中國が抱える「信用問題」も解決に導かれるはずだと信じている。(翻訳?編集/NN)

●孔健(こう?けん)

孔子の直系第75代目の子孫で、孔子研究家、日中関係評論家。山東大學日本語學科を卒業(yè)し、85年に來日。96年、チャイニーズドラゴン新聞を創(chuàng)刊。NPO法人日中経済貿(mào)易促進協(xié)會理事長などさまざまな日中関連の機関で代表を務める?!溉毡救摔嫌肋hに中國人を理解できない」「日本との戦爭は避けられない」など著書多數(shù)。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

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