<在日中國人のブログ>映畫「母べえ」に見る日本の平和と反戦

Record China    2010年2月4日(木) 10時56分

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1月31日、日本新華僑報の蔣豊編集長は「ある映畫から見た日本主流社會の反戦」と題した記事を発表。日本社會では“平和と反戦”が主流の位置を占めており、日本はこれによって戦後60年以上にわたり平和発展の道を歩むことができたと綴った。寫真は盧溝橋。

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2010年1月31日、日本の華字紙?日本新華僑報の蔣豊(ジアン?フォン)編集長は、ブログに「ある映畫から見た日本主流社會の反戦」と題した記事を掲載し、日本社會では“平和と反戦”が主流の位置を占めており、日本はこれによって戦後60年以上にわたり平和発展の道を歩むことができたと綴った。

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蔣編集長は、日中戦爭の激化と共に大きく変化する國情の中で戦爭に反対を唱え、思想犯として特高警察に囚われた男と、殘された家庭を守る妻と2人の娘の家族愛を描いた日本映畫「母べえ」をある晩テレビで偶然見たという。蔣編集長はストーリーの紹介以外の部分で次のように記述している。以下はその要約。

日本で言う「支那事変」は、中國では「七?七事変」または「盧溝橋事変」と呼ばれ、1937年の日本による中國への全面的な侵略戦爭の開始、一方で中華民族全體の日本の侵略への抵抗の開始でもある。歴史の呼稱から事件の性質(zhì)まで、両國の認(rèn)識に大きな違いがある。

(映畫の中で)自身のかつての教師でもあった主人公を取り調(diào)べる検事は、戦爭反対を唱える主人公に対し「國賊」と罵る。これは検事が身にまとっている制服が無理やり罵らせているのか、あるいは彼が洗脳された結(jié)果かは分からないが、一方で主人公の毅然とした態(tài)度は敬服に値する。

映畫が終わり、私はエンドロールを注意して見た。映畫の製作會社は松竹、協(xié)賛は住友商事、朝日新聞、読売新聞。私はこのとき心の中でこれまでのもやもやが一気に解消した感じがした。なぜならこれらの會社は日本社會の主流會社、主流メディアであり、彼らが制作したこの反戦映畫は日本の主流社會に必ず影響を與えるからだ。日本では近年、右翼の活動が盛んだが、“平和と反戦”は依然として日本社會の主導(dǎo)的な位置を占めている。だからこそ、日本は戦後60年以上にわたって平和発展の道を歩んでくることができたのだ。大多數(shù)の日本人はこの航路を変更することを許しはしないだろう。(翻訳?編集/HA)

●蔣豊(ジアン?フォン)

25年以上にわたってメディアの仕事に攜わる。99年創(chuàng)刊で年間発行部數(shù)324萬部を誇る日本の中國語紙?日本新華僑報編集長。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

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