Record China 2010年4月23日(金) 18時(shí)39分
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20日、中國(guó)人ブロガー郭韶明氏はブログにエントリー「食物連鎖と我が家の春秋」を発表した。寫真は中國(guó)の農(nóng)村家庭の調(diào)理風(fēng)景。
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2010年4月20日、中國(guó)人ブロガー郭韶明(グゥオ?シャオミン)氏はブログにエントリー「食物連鎖と我が家の春秋」を発表した。以下はその概要。
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幼少時(shí)の食習(xí)慣は両親によって決定される。何を、どんな調(diào)理法で食べるか、子どもに発言権はない。「これ、もう食べ飽きた」「このおかず、味がないよ」などと自分の家の料理に不満をもつが、隣の芝は青く見えるもので、友だちの家のごはんはおいしそうでたまらない。しかし、長(zhǎng)年の習(xí)慣が持つ力は不思議だ。だんだん「うちのごはん」が好みとなり、この料理でなくちゃと思うようになるのである。
そして大人になり、無(wú)意識(shí)のうちにこの食習(xí)慣の延長(zhǎng)線上で生きることになる。食卓に並ぶ料理のうち、幼い頃好きだったものは一體どれだけあるだろうか?と考える。外食するときも心のどこかで「おふくろの味」を探している自分がある。ところが殘念なことに、それは「私」個(gè)人のことであって、伴侶は私が幼い頃に兄弟で箸をつつきあって食べた味を知らないし、その思い出を共有していない。彼女には彼女自身の思い出がまた、あるのである。
女性は、姑の料理を食べて初めて、どうして夫が、自分が心を盡くして作った料理に感激しないのか理解する。そして自分も、夫が大好きな料理を、決しておいしいとは認(rèn)めてこなかったことに気づくのである。そうして、世代を超えた「食物連鎖」がいかに深いかということに直面するのだ。これはたとえば、年老いた両親の健康のために食生活の改善を勧めるときも同じだ。こちらがどんなに彼らの健康を願(yuàn)って健康的な食事を準(zhǔn)備しても、彼らの何十年の習(xí)慣や固定観念は一朝一夕では変わらない。
この食物連鎖というべき食習(xí)慣は、家庭における精神的遺産も含めて、1人の人の歴史を浮き彫りにする。同時(shí)にそれに抵抗する自分もいる。私たちの地位や経済狀況が食卓を決定する要素となるが、その連鎖を斷ち切ろうと、理想的な食卓を求めるのである。(翻訳?編集/津野尾)
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