<中國人が見た日本>日本はいつから中國文化排斥を始めたのか

Record China    2010年5月15日(土) 11時23分

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14日、中國のブログサイトに掲載された記事「日本はいつから中國文化排斥を始めたのか」が話題となっている。中國文化を慕っていた日本だが、16世紀(jì)から大きな変化が生じたという。寫真は漢方薬。

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2010年5月14日、中國のブログサイトに掲載された記事「日本はいつから中國文化排斥を始めたのか」が話題となっている。以下はその抄訳。

その他の寫真

中國では通常、日本の中國文化排斥は19世紀(jì)中盤のアヘン戦爭以後のことだと考えられている。しかしそれは「遅い告白」であって、実際はもっと前から進んでいた。日本における中國文化の動揺は16世紀(jì)、ポルトガル人の來航に端を発する。いわゆる「三國」(中國、インド、日本)という狹い世界観は、ポルトガルと接觸することによって揺るがされたのだった。ポルトガル人がもたらした銃は戦國時代の戦爭に大きな影響を與えた。こうして「ラテン文明」を體験した日本では、「中國を慕う」世界観がゆるやかに変化していく。

16世紀(jì)は単なる動揺であったが、中國文化への激しい批判と一部での排斥が始まったのは18世紀(jì)のこと。意外なことにまず排斥されたのは、中國人が誇りとしてきた中國醫(yī)學(xué)での分野だった。中國醫(yī)學(xué)から西洋醫(yī)學(xué)への転換を牽引したのが杉田玄白。1774年には翻訳醫(yī)學(xué)書「解體新書」を出版し、オランダ醫(yī)學(xué)の正確性を明らかにした。

醫(yī)學(xué)分野を端緒として日本では中國文化への懐疑と批判が広がっていく。そしてアヘン戦爭を迎え、ついに中國文化の排斥はあらゆる分野へと広がったのだった。(翻訳?編集/KT)

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