日中戦爭(zhēng)時(shí)の國(guó)民黨軍兵士の遺骨3千柱を発見、高速道路の建設(shè)現(xiàn)場(chǎng)で―湖北省宜昌市

Record China    2010年9月2日(木) 15時(shí)43分

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1日、湖北省宜昌市の高速道路の建設(shè)現(xiàn)場(chǎng)で、日中戦爭(zhēng)時(shí)に戦死した國(guó)民黨軍兵士の遺骨約3000柱が発見された。

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2010年9月1日、湖北省宜昌市の高速道路の建設(shè)現(xiàn)場(chǎng)で、日中戦爭(zhēng)時(shí)に戦死した國(guó)民黨軍兵士の遺骨約3000柱が発見された。中國(guó)新聞社が伝えた。

その他の寫真

遺骨が発見されたのは、同市夷陵區(qū)黃花郷南辺村の宜巴(宜昌―巴東)高速道路の建設(shè)現(xiàn)場(chǎng)。地元専門家による鑑定の結(jié)果、日中戦爭(zhēng)時(shí)にこの地で亡くなった國(guó)民黨75軍予備第4師の兵士のものであることが分かった。遺骨は少なくとも3000柱に上る。

村民の秦徳標(biāo)(チン?ダービャオ)さん(73)によると、遺骨が発見された一帯には當(dāng)時(shí)、野戦病院が建っていた。多數(shù)の兵士が亡くなり、遺體は付近に埋葬されたという。地元の歴史資料にも同様の記述があることから、これらの遺骨が日中戦爭(zhēng)時(shí)にこの地で亡くなり、埋葬された國(guó)民黨軍兵士のものに間違いないとしている。

記事によると、國(guó)民黨75軍予備第4師は1938年、傅正模(フー?ジョンモー)隊(duì)長(zhǎng)に率いられ、日本軍と戦った。河南、湖北を転戦し、武漢防衛(wèi)戦、忻口防衛(wèi)戦などに參戦した。(翻訳?編集/NN)

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