中國(guó)人の過(guò)剰な「被害者意識(shí)」は國(guó)の復(fù)興を妨げる―中國(guó)紙

Record China    2010年10月30日(土) 22時(shí)19分

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29日、中國(guó)人民大學(xué)國(guó)際関係學(xué)院の副教授は「過(guò)剰な被害者意識(shí)は國(guó)の復(fù)興を妨げる」と論じた。寫(xiě)真は清代の官僚、林則徐の記念館。中國(guó)の「國(guó)辱」、アヘン戦爭(zhēng)は林がアヘンの輸入を禁止にしたことに端を発する。

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2010年10月29日、中國(guó)共産黨機(jī)関紙?人民日?qǐng)?bào)系の國(guó)際情報(bào)紙「環(huán)球時(shí)報(bào)」は、中國(guó)人民大學(xué)國(guó)際関係學(xué)院の[羽/隹] 東昇(ジャイ?ドンション)副教授の寄稿「過(guò)剰な被害者意識(shí)は國(guó)の復(fù)興を妨げる」を掲載した。以下はその概略。

その他の寫(xiě)真

中國(guó)が外患に直面し始めたのは1840年頃から。「文明の中心」のはずだった中華帝國(guó)が歐州の“野蠻”な國(guó)々に後れを取っていることに気付いたのだ。焦った一部の精鋭が1860年、西洋の近代的な軍事技術(shù)の導(dǎo)入により國(guó)力増強(qiáng)を図るという「洋務(wù)運(yùn)動(dòng)」を起こしたが、1895年の日清戦爭(zhēng)敗戦で失敗に終わった。

失敗の原因は王朝の體質(zhì)を変えずに近代技術(shù)だけを取り入れようとしたことだと考えた変法派が、今度は政治制度の改革を求めた「戊戌(ぼじゅつ)の変法」を起こす。結(jié)局は短命に終わったものの、危機(jī)感と変革への情熱は衰えず、ついに辛亥革命の勃発となった。だが、清朝崩壊の原因は中國(guó)文明の根っこが腐っていたためだとした急進(jìn)派が「革命の対象は政権ではなく文化だ」と主張、これが1919年の五四運(yùn)動(dòng)へと発展した。

1949年、中國(guó)に共産黨政権が誕生する。土地?階級(jí)?文字を含むすべてを改質(zhì)し、文化を作り直そうと試みたが、いつまた敵に襲われるかもしれないという強(qiáng)迫観念は50年代に入っても消えない。そして60年代、念願(yuàn)だった「伝統(tǒng)文化の初期化」をついに実行した。當(dāng)時(shí)、米ソという2つの強(qiáng)敵に挾まれ、危機(jī)感が最高潮に達(dá)していたことは単なる偶然ではない。

結(jié)局、中國(guó)に安心感をもたらしたのは原爆、弾道ミサイル、人工衛(wèi)星だった。今の中國(guó)は最も成功した大國(guó)と言って良いだろう。多くの國(guó)民は「我々の制度は完全ではないが、技術(shù)さえ近代化すれば臺(tái)頭できる」と考えるようになった。奇しくもそれは150年前の洋務(wù)運(yùn)動(dòng)が掲げた「富國(guó)強(qiáng)兵」と重なる。

だが、今の中國(guó)は當(dāng)時(shí)と違い、國(guó)が滅ぼされるという危機(jī)感も焦燥感もない。それなのに、100年前の國(guó)辱が植え付けた「被害者意識(shí)」だけは根強(qiáng)く殘っている?!袱窑嗓い长趣颏丹欷俊龚D植民地支配を受けたことがある國(guó)はみな同じように考えるだろう。だが、臺(tái)頭する大國(guó)として列強(qiáng)と心穏やかに肩を並べるには相応しくない。

もちろん、度を越さない程度に危機(jī)感を持ち、前進(jìn)し続けることは必要なことだ。エネルギーの強(qiáng)さは志の高い民族である証拠。「危機(jī)感→反応→行動(dòng)」―こうしたエネルギーと緊張もコントロール可能で理性的な範(fàn)囲で維持されるのであれば構(gòu)わない。命は水の流れに逆らって行く船の如し。進(jìn)まなければ後退してしまうものだから。(翻訳?編集/NN)

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