Record China 2006年12月28日(木) 12時53分
拡大
井村雅代氏の中國代表チーム?ヘッドコーチ就任は、日中両國で大きな波紋を呼んでいる。その背景には、日中両國の卓球界を舞臺に起きた「小山ちれ騒動」がある。
(1 / 4 枚)
2006年12月15日に閉幕したドーハ?アジア大會では、中國シンクロ代表チームは日本を破り初の金メダルを獲得した。そのすぐ後に明らかとなった、井村雅代氏の中國代表チーム?ヘッドコーチ就任は、日中両國で大きな話題となった。日本國內(nèi)では、日本シンクロ界を長年支え、多くのメダル獲得に貢獻したきた井村氏が、今後、最大のライバルとなる中國のコーチに就任したことについて賛否両論に分かれている。一方中國でも、メディアがこのニュースを連日報道しているが、それには指導(dǎo)者としての井村氏に対する高い評価のほか、過去に 日中のスポーツ界で起きた、ある因縁の出來事が影響している。
【その他の寫真】
その出來事とは、1990年代に日本女子卓球界で活躍した「小山ちれ」選手に関する騒動のこと。小山選手は、全日本卓球選手権で女子シングルス8回優(yōu)勝、日本代表として2度オリンピックに出場するなど、日本女子卓球界の女王として君臨した選手。1964年に中國で生まれ、17歳で中國代表となり、世界選手権で優(yōu)勝するなど、元々は中國女子卓球界を代表する選手だった。中國で現(xiàn)役を引退した後、1989年に來日してからは選手として復(fù)帰、1992年に日本に帰化して日本女子卓球界で活躍する。とくに1994年の広島アジア大會では、女子シングルス決勝戦で、かつての母國である中國に対し、すさまじい意地をみせ、「日本代表」として打ち負かした。
小山選手は、中國での現(xiàn)役時代、実力はあったものの、厚い選手層のなかで國際大會に出る機會にあまり恵まれなかった。これに関して何らかの不公平があったことは事実のようで、小山選手は不満を抱いていたという。自分の実力を中國卓球界に示したい、という強い気持ちから、日本選手として中國を破る活躍に結(jié)びついたのである。
しかし中國國內(nèi)では、小山選手の日本選手としての活躍は、中國を裏切り日本に心を売った背信行為として捉えられ、卓球界はもとより國民感情までも刺激。當時の新聞は「何智麗(小山選手の中國名)事件」と報じ、國民は小山選手を「売國奴」と批判していた。今回の井村氏の中國代表コーチ就任は、逆の立場ではあるものの、小山選手の騒動を彷彿させるようで、中國國民は興味津々といった様子だ。
この記事のコメントを見る
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る